やさしい歌




風景に色を見たのは如何程ぶりの事だろうか。


アペデマスは空を仰いでいた
もうどれほどそうしていたのかわからない。
数えようともしていない。
キルデ砂漠での対決の後。去っていく影が彼方へ消え去った後にアペデマスもその場を立ち去った。
行く当てなどあるはずもなく、かと言ってその場に止まる事はできず。
足が動くままこの地へ来て、それ以来ずうっと地面に背中を預けている。
何かを食べる気にも眠る気にもなれなかった。
ただボゥと、近くの泉が奏でる音を耳に響かせて。雲が流れる空を、時々鳥などが黒い彩で一瞬染める様を瞳に映していた、それだけだった。
一欠けらの情景もアペデマスの頭には届いていない。
当初は異質な存在が入ってきた事に警戒をあらわにしていた周囲の自然すら、身動きすら碌にせず侵入してきた時のままのアペデマスを、ほんの近くに小鳥が降り立つほどにまで受け入れていた。

…静かだった。
石棺の蓋を閉じられた、中の様に。
あそこは無機質だった。だが、ここには生命の発する音がある。
心地よかった。
えもすればこのまま地面と同化してしまいそうな。

「…疲れたな」

またひとつ、鳥の翼が通っていくのをアペデマスは見上げ乍ら無自覚に口が動いていた。
言葉にして。自身の疲労がかなり極限まで達していた事を改めて自覚し、驚く。
当然だろう。今に至るまで休むまもなくずっと戦いずくめだった。
走っているうちは気付かないものだな、と特に何の感情もなくアペデマスは思う。

その疲労は肉体だけではない。精神的な事柄も大きい。
アペデマスは、静かに自分と向かい合う。
意図的でも望んででもなかった。だが。他にやることもなく。
今後に付いて考えるのを放棄した脳裏が次第に、勝手に過去を辿っていったのはいわば必然のことだった
ずっと軍や国や自分の行いについて考えることを要求されてきたアペデマスの頭は、いきなり思考を巡らすことをやめようとしても、できなかったから。

謀叛を起こした。
国王の目論見に引っ掛かっていることを自覚しつつも、あの一太刀を止める事などできなかった。
嫉妬などという卑しい感情で、自分の信頼を裏切った王が憎かった。
同時に、信頼というものが如何に脆くくだらない物かを知った。
歯車が少し噛み合わなければすぐ壊れてしまうもの。
ならば仲間など。利用する、ただ其れだけの存在でしかない。
と。アペデマスは悟ったのだ。
そして、その時から。誰も信用しなくなった。
いや。ギリギリまで悩んだ末に。信用しない事を自らで選択したのだ。
育て上げた軍隊と。嘗ての三人の仲間と戦の最中で。味方であるはずの残りの二人にすら、心から背中を預ける事が出来なかった。
そう。今まで、怒涛のように流れる出来事の渦中で。移り行く情勢を誰にも選択を任すことができず、自ら考えなければならない事が多すぎた。一瞬たりと気を休める事もできなかった。
反動のように。頭が休息を欲している。
先の対決で…全力を出しての死闘で、なにもかもが極限まで達してしまったようだ。

(…いや、死闘と思っているのは、俺の方だけか)

あの男は、命を懸けて戦っていたが、殺し合いなどはしていなかった。
バルカンは、冷酷になれはできれど、試合のほうが得意だったな。と脳裏に過ぎる。
自分を裏切った一人。少しなりと憎悪が浮かんできそうなものなのに、アペデマスはフッと笑んだだけだった。
あれほど荒れていた心は、穏やかだった。
もう、どうでもいいことだと。
あの時。そう口に出したときに気づいたのだ。
最強の戦士となり地球を支配するという願望に偽りはない。心から、達成しようと行動していた。
しかし、其れと同じくらい強い渇望が奥底に燻っていた事を。

結局のところ
自分は、彼らに。真相を知ってほしかったのだ。
メロエが自分をあのまま殺しても。全てを受け入れる事が出来るほどに。
なによりもそれが自分の願いだったのだ。と
敗北し殺されるのが戦士の運命。というものよりも、その密かな願いの成就による受容の感情が勝ったのだ。
戦よりも感情を優先した自分に戦士と名乗る資格はあるのだろうか
そして、戦士という名を失って。生きるべき時間を過ぎ去っている自分は一体なんなのか。
しかし、それでも     

嘗ての仲間達の顔がふっと過ぎる。
メロエとアグニ以外を、自分の手で殺した。
その事について懺悔などなかった。
仲間以前に、彼らも自分の理を持った戦士だ。
様々な要因で歯車が狂ったとはいえ、アペデマスの理と彼らの理が噛み合わなくなった。だから戦い、そして勝敗が定まった。なんの憐憫も存在せず、ただそれだけの事だ。後悔などあるわけがない。
お互い譲れないものをかけて戦をする。それが戦士であり、人ではないか。
自分たちは人であって、自然ではないのだ。少なくとも、自分は戦士以外になりたいとは思わない。
愚かといわれようと。人として生まれた者が人として生きて、なにがいけないのか。

だから。悔やみながら振り返ることなどする気はない。
国王との事も、顧みるなどするつもりはなかった。結局は選択したのは自分なのだから。
ましてや、誰かに語ることなど。
そんな、憐れを乞うような行為…そもそも自分の自尊心が許せない事で。
そう。あの時。あの博士が来なければ。
アペデマスの胸内に苦々しい感情が広がる。

…なぜ、あの博士に喋ってしまったのだろうか
嘗て心を許した者にも言えなかった事だというのに。
無関係の他人だから。喋っても特に問題ないと。害はないと判断したからか?
いや

          
どれも、違う

そんな事などではないと、アペデマスは解りすぎるほどわかっている。
…あまりにも。
あまりにも、動揺しすぎていたのだ。
部下以上の感情を持っていた。疑いつつも、内心決して裏切らないと思っていた存在に。…裏切られたから

          …ッ」

瞬間。胸中が荒波に飲み込まれた。
今まで、意図的に目を背けていたものが、眼下の元に晒されていく様に。
最後に瞳に移した。血に塗れた彼の静かな顔が想い出されてしまって。
端正なアペデマスの顔が、歪んだ
胸が、痛い。
ズクズクと鋭く突き刺し、しかし後をひくような鈍い痛みがする。
戦いの中で与えられたどんな傷よりもそれは膿むような痛みを与え、アペデマスを苛む。
なぜか、どうしても彼のことだけは。生き方だとかそんなもので割り切ることだけが、出来ない。と。
厭でも。アペデマスは自身の声に向き合わねばならないということを知らしめるように。

短くない時間を一緒にすごした。
いろんな顔を見てきたと思う。
その中でも特に、柔らかく微笑んだ顔が好きだった。
記憶を辿れば直ぐに思い浮かぶ。あの笑み。仕草、声までもが鮮やかに。
しかし、今。
思い浮かぶどの顔も、すぐに、紅く染まっていって       
これは、罰だろうか。
酷く、酷く胸が…痛い。我慢が出来ないほどに。

気づかなかった。
自分はこんなにも
脆い

「ヴァー…ユ」

掠れた音が、辛うじて彼の名を綴れた。
決して返答することのない者の名を。
それは。一筋の通り風が髪を揺らすのと一緒に攫っていきそうなくらい小さなものだった。
その時だった。





「……御身体に…さわりますよ」




アペデマスさま、と。







背後から、柔らかな声が聴こえた気がした
いつもずっと。隣から語りかけてきてくれていた声が。

瞬間、頭に浮かんだのは幻聴という二文字。
だが、気がつけば反射的に飛び起きて、身体ごと大きく振り返っていた。
幻聴でしかありえない。そう理性は言っていても、衝動が身体を動かしたのだ。
そして、そこには。


「…ヴァー、ユ…!?」


アペデマスは驚愕に目を見開いた。
辛うじて、声が出せたが、開いた口を閉じることすら出来なかった。
世界が止まった、そんな錯覚を一瞬のうちに覚える。
仕方がないだろう。
目の前に。
茂る樹の影に。癖のある髪を風に任せるがまま、静かに立っていた相手は。
今の今焦がれていた、確かに。確かに自分の手で絶った筈の。

「…はい」

驚くを通り越して放心しているアペデマスに向かって、開いた口から肯定を彩る小さな声は確かに、聴こえた。
ということは、これは幻聴でも、ましてや幻覚でもないということで。
目の前に立つ…ヴァーユは、強くなにかを揺す振られた様なこちらに対して。あくまで淡々としているように見えた。
周囲にとけるような色をした、癖のある淡い髪
切れ長で、優しい面差をした翡翠の瞳
何もかも記憶にあるがまま、あの一件など。何もなかったと言われれば信じてしまうくらいに。
なにも、変わらない姿で。
首に巻いている布を棚引くに任せている様子が、更に湖面のような雰囲気を助長しているように感じられた。


「生きて…いたのか……」


身動きが出来ないまま、がんがんと鳴る頭でゆっくりと言葉を紡いだそれは、何より自分に浸透していく。
引き出された感情は、安堵感と、紛れもない
狂おしいほど強烈な…喜び。

「…いいえ」

だが、直ぐにヴァーユはそれを否定した。
碌に回らない頭ではその意味がわからなくて、アペデマスは形の良い眉を顰める。痛いくらい熱く鼓動をうっている心臓を、動揺を隠さず素直に浮かべる。
ただ、今冷静な状態であっても恐らく理解できなかっただろう。
あまりにも、不可思議な言葉であった。
怪訝そうなアペデマスを見ながら、何の色も見せなかったヴァーユが戸惑った表情を浮かべる。
何かを言いかけ、うまく言葉に出来ないとでも言うかのごとく口を噤むと、そのまま小鳥がそうするように小さく身震いをした。
いや、正確にはそうではなく。背中にある何かを広げただけのようだった。
その白い小さなものが目に飛び込んできた瞬間。これ以上驚くことはないと思っていたのにアペデマスは再度瞬きを忘れてしまった。

「確かに、私は死んだようです。」

こんな奇妙な事があるだろうか。
バサッと鳥が羽ばたく時の音をさせて、ヴァーユの背中から現れたのは、白鳥のような白い翼だった。
自らの背中にあるものを、不思議そうに触りつつも小首を傾げながらする困ったような微笑と小さな声。
それは、昔、穏やかだった日々のときに、軽い悪戯をした自分に見せた顔。
それは、敵に相対する時の様子ではなく、嘗て傍らにいたときのような声音。
その顔と声で自分の死を自分で告げる。
淡々としたそれが、アペデマスにはとても惨いものに、聞こえた

「…ッ!!           ッ」

こんな…これは
これは本物なのか
本当に幻覚ではないのか
こんなことがあるのか
死んだと思っていたら生きていた。のではなく、死んだ相手が存在するなんて事が      

疑問は何一つ言葉にすることは出来なかった。
胸がかきむしられる。
叫びたいような高揚感と眩暈で頭がクラクラする。
そんな頭を叱咤し、よく、ヴァーユをよく見ようと目を凝らす。
現か幻か、とにかくそれだけは確認しないといけない。
先程から答えは貰っている気がするが、ちゃんと心に届かせないと自分がおかしくなってしまいそうだった

「……本当に、ヴァーユなんだよな…?」
「………そうです。アペデマス様…」

喉が動くのを、小さく頷いたのをアペデマスは今度はしっかり見る
白い翼から辿って。ただでさえ陶器のように白かった肌は益々薄くなってしまったかのようだった。
そのまま、透けて消えてしまいそうな程に。
衝動的に駆け寄ろうとする身体を、アペデマスは必死で押さえ込んだ。

この感情を、衝撃をなんとすればいいのかは…わからないが。
通常なら。殺した相手が存在するということは。
幻覚でないのなら。「仕損じた」と、いうこと…で。
そう、「自分が、殺し損ねた」ということだ。
だが、本人は「死んでいる」といっている。翼という付属までつけて。
…ということは、確実に「殺した」ということで。

そう、「自分が、殺した」ということで。

混乱する頭の中に、それは鋭利に突き刺さって理解をさせ、自分を止めてくれた。その事に感謝をする。
今ここに居る彼が本当に死んでいるのならば論外
もし、生きていたにせよ…彼に傷をつけたのは他の誰でもない…「自分」なのに。
笑ってしまう
自分は「加害者」なのだ。
…いったい、喜ぶ権利など、自分のどこにあったのだろうか
ましてや、駆け寄ることなど、どこに      

「……それで?」

引き裂かれるような痛みが、アペデマスの心臓を穿つ。
其れを抑えるように、問うように目頭をあげるヴァーユに向かって渇いた喉で言葉を放った。

「怨み言でも言いに来たのか?」

自粛するように、声は驚くほどに低かった。突き放すような声音にしないとこの状況に耐え切れない。
こぶしを握り締めた痛みで、ヴァーユにとって、アペデマスは「自分を殺した者」という存在以上ではないというのを、強く強く自身に知らしめる

風に吹かれて揺れる、髪を撫でたい
頬に触りたい
その羽が本物なのかどうか確かめたい

(…抱きしめたい)

これほどまでに焦がれているのは…もはや自分の方だけなのだ、と。
そうでもしなければ、身勝手な、そうあまりにも身勝手な感情でまたヴァーユを傷つけてしまうだろう
其れはあまりにも当然のことだ
自分を殺した者なぞ、憎悪の対象でしかない
その憎い相手に「よかった」と喜ばれるなんぞ、なんという滑稽で馬鹿ばかしく殺意が沸く光景なのか。

「……いいえ、違います」

しかし、ヴァーユは小さく頭を振る。目を伏せ、寂しそうな瞼が震えている気がする。
僅かなヴァーユの仕草ですら、痛い
あまりにも、以前とかわらなすぎるから
罵ってくれたらいっそ楽だった。
これでは、近くに行きたい欲求が昂って…仕方がなくなる
触れても、受け入れてくれそうな、そんな気がしてしまって自分の立場を失念してしまいそうになるのだ。
自分の愚かさに…吐き気がしそうだ。
それでも辛うじて、表面上は取り繕う。
なにかあれば即座に瓦解してしまう、紐の上を渡るような脆さ。

「…ならば復讐にでも、私を殺しにでもきたか」

言いながら、投げやりにアペデマスは笑む。
自分を殺した男の目の前に立つ理由なんぞ、一つしかないだろう。
謝罪などをして、楽になるなどという甘えた事をする気は一切なかった。
ただ、罰を待っていた。何をされてもかまわなかった。罵倒も…命すら獲られてしまっても。
彼には当然の権利だ。
自分は何物でも変えようがないほどのものを奪ったのだ。
もはや何もない身だ。逆らう気なんてなかった。
いや、むしろ…望んでいるのか
だが

「そんな訳がありません!」

ヴァーユは強い声で否定をした。
勢い、前のめりになってしまうほどに。
違うと。
その勢いに、アペデマスは自身の笑みが崩れて怪訝そうな顔に変わったというのを自覚する。

「…?ならばなぜここにいる」

答えが想定の範囲外で、純粋に疑問を放つ
アペデマスには心の底から理解が出来なかった。
それ以外に、ここにくる理由なんてあるわけがないではないか。少なくとも、アペデマスには思い付かない。
自分自身の声に戸惑ったようにした後、ヴァーユは逡巡するように顔を伏せた。その表情は窺い知れない。
静寂が周囲を包んだ、そうして間があった後心を決めたように顔を上げる
だが言うことは簡潔にする彼にしては珍しく、歯切れが悪かった。

「…貴方を、裏切った身で。こんなことを言う権利などないとは解かっています…が…」

裏切り
ああそうか、こいつは自分を裏切ったんだっけか
あまりの鮮烈なこの状況に、今の今まで胸中に浮かぶことすらなかった。
…そうか、そうだった

(そもそも、それ以前の問題だったな)

この遣り取りの前に、既に歯車は壊れているのだ
従えないと。彼が言ったときのあの衝動がよみがえるが、不思議とそれまでだった。
怒りも憎しみも無く、あるのはヴァーユがいる喜びと虚しさだけなのだ
他人を巻き込みあんなにも荒れ狂っていたのに…、自分の容易さに反吐が出そうだった。
それもこれも、・・・あの戦いであてられたせいか。胸のうちを知られたせいか。
アペデマスは苦く笑う。
その笑みをどう解釈したのか、目の前のヴァーユは小さく目を伏せた。
たとえ映っているのが憎悪であっても、自分に向けられる瞳を見れなくなるのが至極残念で、アペデマスは黙って次の言葉を待つことにする
一つも聞き逃さないように

「私は…貴方に。一つの謝罪と、一つのお願いをしにきました。」
「…謝罪と、頼み?」

紡ぎだされたのは意外な言葉だった。
裏切ったことに対してだろうか?
…だが、ヴァーユはそんな事をするような奴ではないはずだ。
戦士は行動を貫かなければならない
結果に対して後悔するような事をするなと自分はそう、教えてきた。
その点に関して、アペデマスは5戦士全てを疑わない。無自覚に。
だからヴァーユの言葉の予測が付かなかった。
そうしておいて、ヴァーユの言は的確にアペデマスの胸を抉るような事を紡ぐ

「心の内を吐露できないような…、至らない部下で、申し訳ありませんでした。」

「…何を、…。」

咄嗟に声が出なかった。
否は自分にある、と彼は言ったのだ。
聞いていたのか、と多少バツが悪かった。
誰よりも彼には、知られたくなかったような、知って欲しかったような。相反する気持ちが渦巻いていたのだ
そして確かに安堵感を覚える自分が嫌だった。
過去のことはどうしようもない。と今の自分は思える。
それでも、安易に「終わった事だ」と言えるほどこの複雑な感情は軽くはなく、口ごもる。

「これは…私の自己満足です。許しはいりません。」

感情を持て余して困惑しているアペデマスに、ヴァーユは優しく言い、深々と頭を下げる。
何もいらないと。
暗に…自分のことに対して余計なことを考えなくていいと。
何故コイツは、いつも相手が楽になる方法が解かるのだろうか。

謝罪は自己満足だからしない。なんて嘘だ。本当は、恐かっただけだ。
ヴァーユに受け入れられなかったら。それは・・・決定的に、アペデマスに立ち直れないくらいの痛手をつけてしまうから
自分はこんなにも臆病者だったのか

「…そして、おこがましい事を承知で、申します」

情けなくも一言も喋れないでいるアペデマスの前で、淡々と話が進む
伏せた顔をあげて、視線を合わせずらそうに外したまま、声は…震えているように感じられたのは気のせいか

「一度だけ…でいいのです。……一度だけ、

 口づけをさせてはいただけないでしょうか」

双眸が見開く
何を言われたのか解からなかった
ただ大きな衝撃だけが走った。
そしてやはり、これは夢か幻だと思った。
そうでなければ説明が付かない。

あまりにも自分に…都合がよすぎるではないか

「…申し訳ありません。すぐに、すみます…。すぐに…」

ヴァーユは、一瞬怯んだ様に震えた後、目を伏せたままゆっくりと歩み寄ってくる。
一歩、一歩。
身動きが出来なかった。
瞬きすらも。
動いたら瞬時に、夢が覚めるのではないかと。
そうして頬に、微かに震えるヴァーユの手が触れたのが、解かった
その微かな温もりに。焦がれていた顔が近くにあることが理解できたとき。体中が甘い痺れに支配される
そのまま委ねてしまいたかった
だが

「…お嫌なのは重々承知です。一瞬だけ…、我慢をしていただければ      

触れるまであと僅かという時、消え入りそうな声が耳に届いた瞬間。金縛りが、解けた
自分でも驚くほどに素早く、ぐいとヴァーユの手首を掴みとり、横の樹に身体ごと押し付ける。
そうして身動きを許さないほどに押さえ込んだ。

「…なにを企んでる?」
「ッあ、     …ッ」

何故嫌などという言葉が出るんだ
と、聞きたいことは他にあったのに、口に出たのは別の事だった。
無性にその言葉が引っ掛かったのだ。
そして、咄嗟に否定の言葉が出なかったヴァーユに、胸の奥が鋭く痛む。
小さく悲鳴をあげたヴァーユに、腕の中で身を捩るコイツに、余計な気が行きそうになるのを必死に抑え、考えをめぐらす
聞き間違いではない。今、「忘れる」と言ったのだ。

「忘れるとはどういう意味だ」
「…何も、深い意味など……」
「とぼけるな」
「……っ」

思わず握り締めた手首に力をこめてしまい、痛みにヴァーユが息を呑んだのが解かる。
だが力を緩めることが出来ない。
はぐらかそうとした、それだけで何か意図があるのは明白で。
アペデマスに…喪失していた灯が、身体の奥から再び燃え上がるのを実感した。
胸中には得体の知れない不快感がじわりじわりと侵食してくる
なんて身勝手なのだろうか
先まで、殺されてもいいとまで思っていたのに。
少々好意のようなものを向けられて、それに裏があったとわかるだけでこんなにも、怒りが湧いてくる
いや、違う。
これは、失望だ
何をされても受け入れる気であるというのに、それを隠されている事がこんなにも嫌だった
自分はあまりにも勝手だ。

「言え」
       …」

自分の醜さが解かった上で…それでも知りたかった。
きっと知れば、こいつの望みどおりにしてやれる、筈だとアペデマスは理由を作る。
顔を逸らされないよう自由な手でヴァーユの頬を掴み、固定した。
そうして正面から瞳を覗き込む。挑むように。
どれ程そうしていたか、一瞬だったかもしれないし永かったかもしれない。
負けじと見返していたヴァーユの、何かで歪んだ瞳が、緩々と観念したように視線を外した。
表情は、まるで絶望したかのように蒼白だった。
それでも、誤魔化せないと悟ったのか。覚悟を決めたように口を開く。
この潔いところが好きだった。

「…私は、私がここにきたのは、頂きたいものがあったからです・・・貴方から。」
「・・・・・・最初からそういえばいいのだ。・・・何が欲しい?我が身くらいしか持ち物なんぞないが」

意識はせず放った最後の言葉が皮肉に取られてしまったようで
物ではないと、軽く首を振るヴァーユの表情が益々曇る。
それを訂正しようとしたが言葉がでなかった。

「妙なことを。と御思いになるでしょうが……貴方の、感情が。」
「なんだと・・・?」

「・・・貴方の”私を恋人として扱っていた”感情が、欲しいのです」

「・・・・・・感、情…?」
「はい・・・・・・」

ぽつり、ぽつりと。
何を言っているのか解からなかった。
ヴァーユ自身、うまく説明できないような顔をして戸惑っている。
だが、アペデマスは元来察しのいいほうで、そんなに間を置かずとも理解してしまう。
それを確かめるように言葉を続けるが、身体の奥まで冷水を浴びさせられたような衝撃が走る。

「…どういう意味だ、それは」
「そのままの…意味です。」
「まだるっこしい事はいいから、ヴァーユ。直球に言え。」
「…そうですね…、記憶をください。といえば解りやすいでしょうか…。
 その、嘗ての、私との事を全て忘れて欲しい、と…。」


静かに告げる言葉は鋭利な刃物のようだった。
再び、眩暈がアペデマスを襲う。
本当に、くらりと目の前が霞んだ。必死で平静を装った声が自分で空々しく感じられる。

「…ほう。それは、口付ければ…無くなるとでもいうのか」
「直ぐにではありませんが…。私が上へ、昇れば…消えてなくなる…筈です、ので」

うなずく僅かな動きは、密着した腕の中では過敏に伝わる。
ヴァーユが言うことは、つまり、こういうことだ。
ヴァーユと今接吻すれば、今までヴァーユと過ごした恋人の日々と、その恋慕の感情を消せる。と

通常では考えられない奇妙なこと。
そんなこと古今聞いたことがない。あるわけがないと一笑に付すことなど出来るはずがない。
今目の前に不可思議が存在しているのだから。

アペデマスは見開いた目を閉じることが出来ないほどに、動揺している事を自覚する。
しかし顔色は蒼白でも、ヴァーユはどこまでも冷静で、そして真剣であるとアペデマスには感じられた
本気で、そう望んでいるのだ。と。わかってしまった

…気が付けば、アペデマスは笑っていた
どうしようもなく、可笑しくて

(…そうか、それほど…憎いか、私が)
かつて恋仲だったことを無かったことにしたいほどに。
その”時”すら消してしまいたいほどに。


ヴァーユの肩に顔を伏せ、ひとしきり笑った後。腕の中で怯えたように身を硬くしているヴァーユの顔を、再び直視した。視線が合った途端ぴくりとヴァーユの身体が強張るのを感じ取り、また可笑しくなった。
恋愛感情を持った事にすら嫌悪するという。
ただ憎いと殺される事よりも衝撃を受けている、自分の滑稽さ。
そして、ヴァーユとの歯車の残骸が…自分を嘲っているようで。とても可笑しくて堪らない。

一体こんな自分はどのような顔をしているのか。
真っ白な顔で、まるでヴァーユの方が、刑を待っている罪人のような顔をしていた。
ヴァーユがその様になることなどないのに。
そして、その顔から目が離せなかった。

  っ?」

気がつけば、樹とアペデマスの間に挟まれて逃げられないヴァーユの頬を、自分の掌がゆるりと撫でていた
腕の中の身体が一際大きくびくりと震えた。
戸惑った表情を浮かべながらも手の動きに呼応するように小さく吐息が漏れたのを知って、アペデマスの身体に痺れが走り抜ける。
その温もりは・・・ほんの僅かしか感じられない。だが指が首筋を、すると辿る度に跳ね上がるのが面白くて、髪を触るのが楽しくて。何度も繰り返しているうちに、硬く閉じた目元に、白肌に朱が混じってきて。
驚きの表情を浮かべながら、それでも大人しく腕の中に居るヴァーユから手を離せなくて。
そうしていたら。そうだな、と。…口が勝手に言葉を紡いでいた。

「私に抱かれたら…考えてやってもいい。」

石のように硬直したヴァーユを感じ取り。最悪なことを…言ってしまったと知る
ヴァーユが決して「可」と言えない事を。
表情に、色すら無くなってしまったのを見て取り、胸がチリチリと痛んだのを歯を食い縛って耐える。
王に裏切られて熱くなっている時は、世界が歪んでいると思っていた。
しかし今、本当に歪んでいるのは誰かと、問うまでに至った。
一方に全てを傾ける事は流石に愚かだと思うが、しかし少なくとも、今のは完全に自分に非がある。

(この期に及んで…何をしている)

自己嫌悪が極限まで達すれば、苦笑すら浮かべられない。
これ以上…密着していたら危険だと本能で感じた。
離れがたいと訴える身体を、冷えた部分が総動員で宥め、必死で言い聞かせる。
頭は冷静でも、衝動が抑えきれない事もあるのは痛いほど知っている。通った道だ。
結果は最悪だった。
だからはやく、離れなければ…。
ヴァーユに何をするかわからない        


「…わかりました」


葛藤しつつもゆっくりと抑える力を緩めはじめたその時、その努力を無にするような信じられない一言がアペデマスの耳に届いた。
だが…確かにきこえたそれは空耳ではなかった。
証拠に、ヴァーユは伏せていた顔をしっかりと上げ、アペデマスを正面から見ている
息を呑む。
決心したような表情は、直ぐに伏せられた。しかし、蒼白な色をした端正な顔に紅を差した、なんとも不思議な色味を帯びたそれが…、どうしようもなくアペデマスを揺さぶってしまう。
そして駄目押しのように、目を見開いて動けないでいるアペデマスに向かって、ヴァーユはそのまま僅かに力を抜き、身を任せてきたのだ。
どこかで、ああやはり夢だと、そう告げる声が聴こえる。

「貴方が、お望みなら…」

囁くといっていい程の小さな声に。どういうつもりだ。と、言うべき言葉が…出なかった。
たとえ夢であっても。ここで身体を離して開放し、望みのものを与えてやるのがヴァーユにとって一番良いことなのはわかっている。
そうするべきなのは、痛いほど…理解している。
しかし、小さな声で告げられる言葉。
胸に凭れ掛るあまりにも無防備な身体。
柔らかい髪が昔のように首元に触れてくる。
懐かしい香りがして、無意識に、誘われる様にそうっと髪に指を絡めても抵抗しない。
焦がれる人の、敏感に震える身体と、耳に羞恥に染まった微かな吐息が届けば。

この衝動を、止められるすべがあるわけがない

「っあ!……ん、…」

口付けを堪えれたのは奇跡に近い。
代わりに、首筋をほぼ噛み付くように強く吸い上げた。
痛みすら伴ったであろうそれに、びくんと跳ね上がった身体は、勝手にも余計アペデマスを挑発するかに感じられる
ぐいと頭を手のひらで掴み傾けさせて首元を露わにさせる。再び、まるで何かの魔物が血を吸うように今度は本当に歯を立てると、くぐもった声が漏れた。
そうして、自分がつけた、震える首に残る歯形を見る。生気が無いように感じさせられるその白肌と首を巻いてる布の間で、赤い半円はとても艶やかに存在を主張している。
煽られる様に痕を舐め、そのまま耳まで舌を這わせれば、強張った白い身体は過敏に反応した。益々身を竦ませ、そして耳元まであっという間に紅く染まる。腕の中で固まったままで、微かに顰めた眉と目元が、なぜかとても淫猥に感じられて目が離せなかった。
同時に、なによりも、二度と触れられないと思っていた彼に触っている。それがなによりアペデマスを高ぶらせていく。

「待・・・、お、お待ちくださ…い。その前に…」
「…なんだ」
「……き、傷を…」

喉元に舌を這わしたとき、身を捩って小さな抵抗をされた。少々ムッとしたが掠れた声音に心引かれて素直に動きを止める。
呼吸の動きさえ相手に伝わる程密着した体制で、上目遣いで目を合わせれば。更に上気した顔で視線を逸らされた。
そうしておずおずと言う台詞に、アペデマスは自分の首に傷を負っていることを思い出す。

「ああ、忘れていた。」
「…すぐに、治します…から」

血が滲んでいるそれは確かに痛みを伴っていたはずだった
しかし今のアペデマスには露ほどにも感じられない
それより正直な所再開したかったが、ヴァーユが気を取られている様子だったので好きにさせる
そっと手を翳したのをみて、以前のように吐息を吹きかける事はしない今に、ふと途方も無い距離を感じる。
自重するような笑みが浮かぶのは止められない。
だが

「…え?」

いつもならば。即座に風が傷を浚うように舞い、それで終わりだった。
しかし、一筋すらも風は吹かない。

「…使えないのか」
「…ッあ、…申し訳……」
「止めろ。ほっておけば治る」

自らの力が使えない。その事実にヴァーユは呆然と目を見開いて、衝撃を受けている
穏やかな雰囲気を崩さなかったヴァーユの。初めて見る動揺した姿に、アペデマスの胸が鋭く痛んだ。
再び蒼白な色を見せる顔で、それでも直ぐに謝罪をしようとする様に非常に苛苛した。
刹那、ほんの僅かに。自然に踊る風が髪を撫でてそのまま去っていく。
それに微か、ヴァーユの目元が歪んだのを見た。
途端、今まで全く空気だった周囲の音全てがアペデマスの勘に触りはじめる。
なにもかも。全て、無粋なものに感じられた。

「場所を移すぞ」
「あ、…?は、はい…、わかり…、……!?」

自らの掌を見るヴァーユの気を引き戻すように、不躾にアペデマスは正面からヴァーユを抱きあげる。
そして、今度はアペデマスの方が息を呑んだ。
たいした体格差はないヴァーユの身体は、ふわりと、まるで空気のように。軽かったのだ。
なんの重みすら其処に感じさせてくれなかった。
背中に回した手に触れる…人間には決してない”もの”にぴくりと固まる
身震いした純白のそれはアペデマスの目に焼き付けられるように鮮やかだった。
確かに、翼がそこに存在していた。

「ア、アペデマス様…!自分で歩けますから…」

腕の中で抗議をするヴァーユは盛大に狼狽しているようだった。
その。僅かな体温と吐息が確かに腕の中にヴァーユは居るのだと実感させてくれる。
そして、このヴァーユはこの世のものではないということを。

「アペデマス様…?あの…」

押し黙ったアペデマスに、戸惑いがちにヴァーユが声を掛けたのを合図として。足が勝手に歩みだす。
近くに、岩と蔓で創られた自然の洞があった筈だ。
ぐらりと霞掛かる頭の中で、ここへ来る時の、僅かに残る記憶を探った。
そして程なく其れは見つかる。
その間、ヴァーユは動いた拍子に小さく声が漏れだけで、後は静かにされるがままだった。
洞の中はそれ程広くはなく、しかし窮屈でもない程度だった。
その草で覆われた地面の上に、ヴァーユを横たえた。
柔らかな髪と翼が無防備に地面に広がる。
見下ろして、アペデマスは息を呑んだ。
ただでさえ清廉で性欲とは無縁の雰囲気を纏うヴァーユに、白い翼が益々その清らかさを強調していた。
深い罪悪感を覚える。
まるでそれは、穢してはけないような存在に思えたからだ
しかし、それと同時にまた。儚さを湛えた表情。窺うように向けられる上目遣いの赤い目元。仄暗い穴の中、僅かに身じろぐ白い肌が艶かしく。無抵抗に腕の中におさまっている。
罪悪の感情を超え、どうしようもなく         欲情する。

「あっ…」

すぐに手を胸に這わすと、過敏に、素直に反応を返す身体が愛おしくて、そして安堵する。
もはや誇張ではなく、目の前から消えてしまいそうなヴァーユの、眉を顰めて上気する顔
普段の儚い雰囲気からは想像つかない、長い睫が艶を帯びる姿は、ヴァーユが唯人である証だと。
そしてそれをさせているのは誰でもない、自分だと。

もっと見たい、もっともっと              

「あ…や…、まって……っんん!」

胸を触りながら首にまとっている布の隙間から鎖骨を舐める。ヴァーユは性急な動きについていけないようで、只管身を震わせて耐えている
しかし気を配る余裕が無い。触れ続けてないと焦燥感で押しつぶされそうだった
早くしないとこの夢が覚めてしまいそうで

「…背中、痛くはないか?羽」

ふと窮屈そうにしている羽が眼に映った。ヴァーユに触れる事しか頭になかったアペデマスは、その時やっとヴァーユの背中が、肩甲骨のところから生えている羽のせいで地面から浮き、胸が僅かにそっている事に気づく。ちょうど、胸の淡い桃色の突起を強調するように。
焦りを必死で抑えながら顔を覗き込むとヴァーユは問いをなんとか認識したような顔で、それでも小さく頭を振った。

「…え…あ、はい。平気です…、感覚は、なくて…」
「そうか」
「あ……!?」

返事を最後まで聞く程の余裕はなく、首の付け根を舐めればヴァーユの声がかすれた。
触れた所が容易く紅く染まり、白肌に彩を与える。
つければつけるほど、もっと見たくなる。底無しだった。
声すら出すのが億劫だ。今の自分はまるで獣だ。自重する事を考える時すら惜しい。
目を瞑って竦んだ身体に圧し掛かかると、手が胸の突起を捕らえた

「…っぁ!」

わずかに触れた瞬間、ぴくんと一際過敏に身体を振るわせた。
困惑を含んだ小さな悲鳴に。ぞわり、とアペデマスの奥底の欲情が一際煽られる。
誘われるまま、指先で優しくはじく様に触れれば。羞恥の、しかし恍惚を含んだ色味がヴァーユの顔を染め上げていた

「…、あ…ぁ、なんで・・・」
「・・・相変わらずココが好きだな。ヴァーユ」
「・・・ち、違いますっ・・・」
「嘘をつくな」

ヴァーユは快楽に戸惑っているようだ。赤く染まった顔を背けながら、必死で否定するヴァーユが愛おしい。そしてヴァーユが望んではない行為に胸が苦しかった。
おそらく、嫌な相手に触れられても身体が反応してしまうことに驚いているのだろう。
仕方がないことなのだ。アペデマスがヴァーユの身体をそう変えたのだから。
そして、ヴァーユがただの生理現象だと割り切れることができないのは、アペデマスはよく知っている。
・・・それが、ヴァーユを苦しめるというなら

(余計なことを考える暇なんか与えないくらい、・・・よくしてやる)

振り切るよう、アペデマスは顔を寄せ小さなそれを見る。ほんの僅か触れただけの小さな先端は、指の中で震えながらも芯を持ち始めているようだ。その敏感な様が可愛らしく、淡い赤をした胸先を僅かに尖らすものをくわえる。途端、ヴァーユは無自覚であろう甘い声と、大きくはね上がる身体がアペデマスの獰猛な部分を刺激した。
ヴァーユを気遣う一方で、自分に抱かれて確かに感じている自覚も持たせたいという、正反対の感情がアペデマスの中でせめぎあう。

「うぁっ・・・、……ん、んぅ」

身を捩ろうとするヴァーユを逃さないよう、覆いかぶさる自分の身で抑え付け、突起を堪能する。
まだ柔らかい先を舌先で突き、下から上へ舐めながら時折吸い上げると淡かったそれは次第に赤く、かたくなってくる。僅かに攻め方を変えたそれにも全てヴァーユの身体は反応し、しなやかに揺らめいた。自分の愛撫でそうなっていくのだと実感すると、征服欲が満たされる。
もっと感じさせたくて首筋やうなじを這わせていたもう片方の手で、触れていない方の突起を摘まみあげ、可愛がる。か細い吐息がさらに甘くアペデマスの耳朶をくすぐった。

「・・・・・・あ…ぁあ・・・・・・、ア、アペデマス、さま・・・」
「・・・・いいのか」
「ち・・・・・・・・や、あぁ・・・あ・・・・・・・ふ・・・」

わざと音を立てながら吸い、上目にヴァーユの顔を見ると、アペデマスは自分が身震いするのを感じ取った。
潤んだ瞳で、声を抑えようと震える手の甲で口元を覆っている姿が見える。懸命に与えられる感覚を耐えようとする様子で、しかしか細く上擦る声は確かにアペデマスの耳に届くのだ。

「……くそ」

悔しさに舌打ちをしてしまう。
もっと丁重に、優しくしたいのに。
清らかさを湛えたまま色香を滲み出す、目の前の恋しい人を見て、飢餓状態の本能は抑えられなかった。
同時に、キリリとアペデマスの心の臓が、痛む。
その恋しい人に、憎い相手に組み敷かれ、喘がされるなどこれ以上ないほどの屈辱を与えているのだ、誰でもなく、自分が。
なぜ、やめてやれぬのだ。なぜとまらぬ。
こんなにも下劣であったのか、・・・・・・オレは!
だが、このような自責の念が浮かんでは手を止めようとすれど、ヴァーユの鳴き声でむなしく消え去ってしまう。
荒い息で胸を上下する事すら遠慮深げなヴァーユに、心を打たれて堪らない。
自分は、どこぞおかしいのではないのだろうか

アペデマスは震える先を舐めあげながら、もう片方の突起を弄っていた手を這わせて行く
鍛えられた胸筋を揉むようにしながら、筋肉で凹凸のある身体を出来うるだけ優しく、そして煽るように
身体の下方にある、腰布の中へ。

「・・・あっ・・・」

僅かそれに触れた途端、過敏にヴァーユの身体が跳ね上がった。
即座に掌でヴァーユ自身を掴み取る。逃さぬよう。途端びくりと手の中で素直に反応する。
覆いかぶさっていたから当然アペデマスには解っていた。
乳首を吸う度、次第に揺らめいてくる腰や。布越しにでも、僅かだが、ヴァーユのそれがたちあがって来ていた事に。
だがわざと、その有様を言葉にする

「・・・もう、濡れている。まだ胸を触られただけなのに、な」
「・・・・・・・う」

聞きたくないとばかりに、ぎゅぅと目をしっかり閉じたヴァーユは、耳まで染まった顔を打ち振った。このままだと羞恥で死んでしまいそうな様子だ。
瞼は小刻みに震え、それを隠そうとしてか膝をなんとか閉じようと足を動かす。
それがアペデマスを煽る事になるとは露にも思わない行動だ。
愛らしさにアペデマスは心からフッと笑みを零す
するとヴァーユに敏感に伝わったようで、微かに、驚いた様な目を向けられた。
そういった反応される事を不思議に感じながら、目を開けてくれたことを機とする。

アペデマスは唾液をたっぷり唇の中の乳首に与え、刺激しながら名残惜しく舌を放した
すると舌と突起をつぅと糸が結ぶ
その凄まじく卑猥な様子は、ヴァーユの目にしっかりと入ったようだ。

「っ・・・・・・」

びく、と身体を震わせたヴァーユは、潤んだ瞳を瞬かせ、真っ赤な顔を背ける。
困惑したような、所在無さ気な表情を浮かべて。
自分と恋人同士になるまで、もともと性欲は少ない方だったらしいヴァーユにとって、この有様は卑猥すぎて直視できないのだ。
セックス自体も、朝方までや、休日に一日中など、散々抱いても物慣れなさはとれなかった。
それがどんなに愛しかったか

普段なら、もっとゆっくり、優しくなだめて、身体中を愛撫して。ヴァーユの緊張を取り除いていったものだ。
だが今はそんな余裕はなかった

「んくっ・・・」

手の中で震えている半立ちのものの、カタチを確かめるようにそっと撫でる。
すると、微かな刺激しか与えていないはずなのに、ヴァーユの身体は飛び跳ねた。
だが、何をされるか覚悟していた為なのか、手が動くたびに震えながらも、ヴァーユは口を押さえて刺激に耐えていた。
その紅く上気した表情と、堪えきれず小さくもれる声に誘われるように、アペデマスの口はヴァーユの身体を多少乱暴に吸い上げながら下っていく。
舌が、小刻みに震える太ももまで辿りつくと、その裏を掴んで足を開かせた
その途端、アペデマスは思わず息を呑む
白い足が、薄明かりしか届かない洞穴の中で艶かしく広がり、両足の間にはアペデマスの与える刺激に素直に反応しているヴァーユ自身が揺らめいていたのだ。
無意識に喉がなった。
その間にもアペデマスの手は変わらずヴァーユのものを撫であげており、その刺激を耐えるので精一杯のヴァーユは自分が今どんな卑猥な格好をとらされているのかわかっていないようだった。
声を堪え、快楽を拒否しているようなその表情と、まるで自ら求めているような下半身との、ギャップ

その瞬間理性が完璧にとび、まるで食らうように、ヴァーユのモノをアペデマスは口に含んでいた

「あぁっ・・・!?」

悲鳴じみたヴァーユの嬌声があがり、アペデマスを一際煽った。
本能のまま、ヴァーユの跳ね上がる腰を捕まえておさえつけ、強く吸い上げる
すると、控え気味に、半立ちだったそれが完全に立ち上がり、先走りがぬめりだしてきた。
ツ、とヴァーユ自身を下から上へ。根から幹をつたうようにゆっくりと舌をはわせ、先端にたどり着いたときにそれを舐める
ピチャ、と洞窟内に卑猥な音が響いた

「うぁあ・・・っ、・・・う」

水音を背景に、か細く甘い嬌声が洞窟を震わせた。それは更にヴァーユを羞恥で追い詰めることになるだろう。その声でアペデマスも煽られる。
・・・だがその前に感じた、今舐めた物に対する疑問が僅かに冷静さを保たせた。

「・・・・・・?」

少なくともアペデマスにとって、精液はけしてうまいものではない。好きな者のだから舐めたり飲んだりする事ができるのだ。むしろ積極的にそうしたいと思える。
だが、これは、心なしか・・・

(・・・・・・あまい・・・?)

「・・・っん!?・・・ふ、くぅ、あぁ・・・や・・・っ」

トロトロと溢れてくるものを零さぬよう、そして確認するように丁重に舐めとる。
・・・間違いなく、ほのかに甘みがする。
それは微かなものだったが、いつもの青臭さと比べれば全く違うもので。
・・・これも、生前の彼とは違うもので。

「ぁ、アペ、さま・・っ?ダメです!そ、それ、やめてくださっ、」

気がつけば夢中で、手で幹を包んで擦りながら亀頭を丹念に吸い上げていた。
時折指で亀頭の合間をぐりぐりとし、精液で濡らして滑りをよくする
もちろん、指を濡らす以外のものは全て舌で掬い取った。
甘くてあまくて、とめられない。中毒性がある味
性感を与えるというよりは、まるで犬が乾いた舌で水を舐めるような、そんな動きだ。
精液が甘いというありえない事に驚き、事実を確かめているだけの。
だが、それがヴァーユにとってたまらなかったようだ。

「やあ・・・も、これ以上は・・・ぁっ」

ふるふると震える手がアペデマスの頭に絡んできて、ハッと我にかえる。
視線だけをあげると、必死で身を起こして腕を伸ばす、紅潮したヴァーユの顔が映った
声はもう抑えられず、涙を滲ませて、息は荒い。所々赤い痕がついている白い肌の上で、先ほど弄って赤くなった両の乳首が快楽でまたツンと存在を主張している。
息をするたび上下する鍛えられた胸板の間を、胸の形をなぞる様に、汗が一筋、流れた。
アペデマスの腰に痺れが走る。
そして、今度は間違いなくヴァーユを達せさせるために、舌を動かす。
もはや押さえつけられないほどに揺らめく腰の上で、熱く脈打つものはもう既に限界のようだった。

「っあ、おねが・・・、もう、はな、はなし・・て・・・っ」
「・・・構わん。いけ」
「あ、あぁあ・・・っ」

咥えたまま喋った事が刺激となって、遂に。手でアペデマスの髪をグシャグシャにしながら、ヴァーユはビクンと一際大きく跳ねて、達した。
そしてそのままビクビクと痙攣しながら、緩やかに弛緩していった。身を支えていた腕が力をなくし、地面に身体を横たえる。荒い息と連動して揺れる、ぞんざいに投げ出された髪が今された行為を生々しく物語っていた。

指まで震えたであろう足に淫猥さを感じながら、アペデマスはゆっくり身を起こした。
ツウと唾液が先端と糸を結ぶ。
征服感を味わいながら、口の中に吐き出された、一際あまい液体を飲み干した
すると、喉を嚥下した音をヴァーユは耳ざとく聞きつけたようだ。
驚愕した表情で身を起こし、口をぬぐうアペデマスの手を掴んで止めさせようとした。既に手遅れなのに。

「・・・な!なんということを・・・!は、吐き出してくださいそんな・・・、・・・っ」
「・・・ん、・・・あまいな」
「!?・・・わ、わけの分からないことをおっしゃらないでください・・・!」

本気で慌てているヴァーユの姿は、アペデマスに一瞬、今諍いしている事を失念させてしまうほど、昔の、恋人の時のままだった。
その頬には、動いた弾みでこぼれたのだろう涙が伝っていた。
堪らない愛しさがアペデマスの身を包んでいく。

「・・・・・・ふ」

無意識に微笑んでいた事を、小さく漏れた自分の声でわかった。
そして手が誘われるようにヴァーユの頬を撫で、そこに口付け。そのまま涙を舐めとっていた。
瞬間、ヴァーユが驚いたように眼を大きく見開いて、身をすくませたのを腕の中で感じ取る。
わかってしまった、拒否をされた、と。
アペデマスの指先が、固まった。

「・・・そ、そういうこと、は」

小さくこぼれる声は、嫌に鮮明にアペデマスに届く
俯いて隠れているその表情がどんなものか、見るのが・・・恐ろしかった。

「やめて・・・ください・・・」


明確な拒否の言葉を聞くアペデマスは、まるで死刑申告をされたような、気分で


「・・・そうだな。・・・・・もう、そういう関係でもないしな」
「・・・っ!」

怒りに似た熱い激流が頭にまでかけのぼる。自分の体の震えをごまかすように、吐き捨てるようにいうと、身動きすらせず座っているヴァーユの肩を力まかせに掴んで、乱暴に、うつ伏せに押し倒した。白い羽が暗い洞窟内で舞う。
すばやい動きについていけず、痛みにうめくヴァーユの声にも止めない。
ヴァーユの背中を押さえつけ、腰を高くあげさせた。四つん這いの格好だ。
腰の布をめくり、白い双丘を露にさせる。
その弾力があって柔らかいものを両手で掴んで開かせれば、桃色をした慎ましやかな蕾が目に入る
唐突な出来事に、ヴァーユが動揺しているような気配を感じたが、構わずそれに舌を這わせた。

「ひっ・・・!」

かすれた悲鳴をあげてビクンと飛び跳ねる双丘を逃さぬよう、一層手に力をこめる。
そして唾液をそこにたっぷりぬりつけて、ヒクつく襞の周りを沿うように舌先で舐めるとグチと水音が響いた
それをヴァーユは、信じられない。というような声音で拒否の言葉を吐く
諦めず腰を逃がそうとする様子にも、苛々した。

「いや、や、やめ・・・、そんな、汚い・・・です、あっ」
「黙れ」

低い声が洞窟内に響いた瞬間、ヴァーユの背中が眼に見えて硬直した。
自分でも自覚があるほど冷たい声だったと思う
・・・だが、これ以上拒否の言葉を吐かれると、頭に血が上ってますます乱暴にしてしまいそうになるのだ
今すぐつらぬいて、屈服させたくなるのだ。その凶暴な感情をアペデマスは懸命に抑えつけていた。

(・・・頼むから、拒絶をしないでくれ。でないと・・・)

怪我を、させてしまう


「お前は私に抱かれることに同意したのだろう。・・・なら私の好きなように抱かれろ」

酷いことを言っているとわかっていた。だが、今のアペデマスには酷くしないようにするにはこれしか思いつかない。
暫し逡巡したようなヴァーユの背中が、諦めたように力を抜いたのを感じ取って、アペデマスは舌の動きを再開する。
丁寧に丁重に、ヒクと震える外側を余すことなく舌で舐めまわし、そのまま中へ入る。
体温が薄かった皮膚と違って、中は、熱かった。

「・・・あっ、・・・あ」

ヴァーユはけなげにも、引ける腰を懸命に動かさないようにして、耐えていた。
身体全体がフルフルと震えて、アペデマスを煽る。上半身をよく肘で支えていられるものだ。
伏せた顔から漏れる声はか細い。
もっと声が聴きたくて、ピチャピチャと音をわざとたてて出し入れをした。
同時に、双丘を支えていた片方の手でヴァーユ自身に触れる。達して萎えていたそれは、またわずかに立ち上がってきていた。
それを根元からすく。

「うぁあっ!ううっ・・・」

泣き声に聞こえても、ガクガクと震える腰から、どんなにヴァーユが感じているかがアペデマスにはよく理解できた
先端を時折指でこするようにし、蕾を吸い上げる。自分の与える快楽に素直に反応する身体は、アペデマスの焦燥感を強くした
どのくらい舐めただろう。唾液がひだをつたって尻から地面にぽたりと落ちるまでになると、ようやくそっと舌をはなす。ヴァーユは敏感に小さな声を上げた
すると、慎ましやかに閉じていた蕾は唾液に濡れそぼリ、ヒクヒクと開き始めていた。
やっと舌が放れたことにヴァーユは安堵したようで、ハァハァと絶えず漏れていた荒い息が僅かに静まった
その油断したところに、指を二本差し入れる。
たっぷりと濡らした穴は、なんなくそれを受け入れた
中にはいった瞬間、きゅうっと締め付けられ、アペデマスの脳裏に、そこにつきいれたときの疑似体験を与える。ゆっくり楽しむ余裕はなかった。

「ふぁ・・・っあ、・・・っあ?あ、はっ!」

舌とは違う、バラバラに動く中の指の刺激をヴァーユは必死に耐えようとしていた。だが、ヴァーユのいいところは熟知している。
ある一点を躊躇なくつくと、ヴァーユの腰が一際大きく跳ね上がった。ぐりぐりと押すたびに、ヴァーユの腰は砕けたように崩れ落ちる
アペデマスはそれを許さず、下ろうとする腰を無理やり掲げさせた。

「はぁ・・・やぁっ、あぅ・・・っ」

押すたびにヴァーユはぴくんと無意識に腰を揺らめかし、無自覚の高い嬌声を漏らした。もう片方のアペデマスの手の中にあるヴァーユのものが、連動するようにダラダラと液が溢れ、アペデマスの手を濡らした。そんなことすらヴァーユは理解できていないだろう。わざとこすらず、触れるだけのもどかしい感覚を与える
知っている。後ろのわずかにコリとしている所、・・・ここが感じるのだ。ヴァーユの理性もなにもかも吹き飛ばすほど
手を動かすたびにヴァーユの声が耳をくすぐり、濡れて、柔らかく解された中がヒクヒクと振るえながらアペデマスの指に絡む。
限界だった。
喉をならして一気に指を引き抜くと、アペデマスのものをあてがう。

「・・・っあ・・・」

ひく、と、感触に震えたヴァーユの腰を両手で抱えなおし、肘を立てて身体をささえ、怯えた声をだすヴァーユの背中を見る。
暗闇の中にうつし出される白い翼が、アペデマスに強い背徳感の様なものを与える。
アペデマスは神など信じていない。
だが、目の前の存在は明らかに、・・・この地上のものではなく。

これから、私は、・・・神のモノを汚すのか

国に逆らったときから、・・・いや、今まで。自分の力だけを頼りにして生きてきたアペデマスにこんな罪悪感を芽生えさせるほど、荒い息をして振るえながら、腰をかかげるヴァーユは喩えようがなく美しかった。
そして、背徳感、罪悪感と同時に生まれる、強い高揚感
次の瞬間、アペデマスはヴァーユの奥まで一気に貫いていた。

「あああああぁああぁっ」
「・・・っ・・・、?・・・」

いれた途端、洞穴内に響き渡る甘い悲鳴。そしてかなり強い力でアペデマス自身がきゅうきゅうと締め付けられ、思わず顔をしかめる。
ヴァーユはビクビクと自分でも制御できないように腰を大きく振るわせると、しばらくしてクタっと地面に倒れふした。
もはや肘で上半身を支えることすら出来ないようだった。
腰だけをあげ、はぁはぁと息を吐きながら、その身体は小刻みに痙攣していた。翼までも。
・・・驚いた。確かにヴァーユは感じやすいが、いれただけで達したのは初めてだった。
どうやら、いつも以上に、身体が敏感になっているようだった。

「・・・・ひぁ、あ・・・・、・・・。」
「・・・・果てたのか?・・・いれただけで」
「・・・・っ」

煽るつもりはなく、単純に事実を言うと、息を呑むような仕草をしたのが伝わってくる。
顔は髪に隠れて見えないが、その耳はこれ以上ないくらい真っ赤だった。
・・・わかっている。恥ずかしくて恥ずかしくて、たまらないんだろう。
いれただけで達してしまったということに戸惑って、そして羞恥で混乱しているようだ
見えなくても解る。ヴァーユの眼には快楽の涙が溜まっていることを
だが、そんなヴァーユの心情とは裏腹に、中はヒクヒクと吸いつくようにからみ、アペデマスを誘っていた。
感じているのだ。
アペデマスの腕の中で

(・・・クソッ、クソクソッ)

                   たまらない


「あぅ・・・!?ま、今はうごかな・・で、・・・ああ、あぁあっ」

息つくこともままらないヴァーユに覆いかぶさって、アペデマスは抜き差しを開始した。
途端、つらぬいている身体が眼に見えてびくびくっと、足の爪先までも反応し、ヴァーユは驚愕したような悲鳴をあげる。
おそらく、達したばかりで、ただでさえ感じやすいヴァーユの中がますます敏感になっているのだろう。
微かに動いただけで強い衝撃を与えるはずだ。
しかしそれに配慮できるわけがなかった。・・アペデマスはまだ一回も達していないのだから。
欲望の赴くまま、力の限り挿入をくり返す。ヴァーユの中はそれを受入れ、奥へ奥へと誘い込もうとからむ。
あまりの気持ちよさにアペデマスの吐息が漏れる。
こういう事を教えたのはアペデマスだった。そう実感すると、腰の動きが強くなる。
ヴァーユも、打ちつけるそのたびに、達してしまうような悦楽を感じているらしい

「はっ・・・!熱・・・あ・・・、・・・こ、な・・・へん・・・・」

信じられない快楽に恐怖を感じたのだろう。這うようにして逃れようとするヴァーユの両手を自分のそれで上から捕まえ押さえつけ、耳を咥え、前に動けないようにする。ふわふわとした髪が視界いっぱいに映った。自分の胸にヴァーユの汗ばんだ背中が触れた。脇から羽を逃すようにして、許すかぎり密着する。
・・・うつ伏せにしたのは、ヴァーユがアペデマスの顔を見るのが嫌だろうと思っての事からだった。
しかし今、ヴァーユの顔が見れないのがこんなにも虚しいものだとは思わなかった。
同意の行為での体位なんかではない。これが今の自分たちの距離なのだ
そうしてしまったのは他でもないアペデマスだ
わかっていた。そんなのは、わかっている。
だがせめて、これだけは許してほしかった
ヴァーユの背中に触れることだけは。

そのときだ

「・・・ぺさま」
「・・・、・・・?」

「あぺ・・・さ・・ま、・・・アペデマスさま・・・、アペデマスさまぁ・・・」


止め処ない、か細く、頼りない甘い声が、アペデマスの耳から、体中を犯した
ぞくぞく、と爪先まで痺れが走って、そして、知らず目頭が熱くなっていく


どうして、こんな酷い男の名なんてよぶんだ。どうして
お前を酷い目に合わせているのは私だろう?
お前の命まで奪ったあげくに無理やり犯しているのは・・・俺だろう?
なのにどうして、受け入れたように、求めるように名前を呼ぶんだ・・・!

そんな事を言われたら、俺は
・・・愛しくて愛しくていとしくて、        離せなくなるではないか


「・・・何故だ、・・・お前はっ」
「ひ、あぁ・・アペデマスさま・・・っああぁ!」

ヴァーユの鳴き声で限界に達してしまいそうになったそれを、アペデマスは入り口付近まで引き抜くと、一際強く深いところまでヴァーユを突き刺した。
そして腰を揺らめかしながら、そのまま奥に精液を吐き出す。壁に塗りつけるように。
ヴァーユも同時に達したようだった。もう数回にもなる絶頂に頭はついていけないらしく、アペデマスの腰の動きに合わせて尻を揺らめかせながら、ビクビクと精を吐き出していた。
だが、同時に、戸惑いを感じているのが伝わる。
なぜなら、達したのにも関わらず、アペデマスのモノが中で全く萎えていなかったから
そして、果てて快楽から開放されたはずの、ヴァーユ自身の胸の突起も、ツンと立ったまま。

ヴァーユの上で息をつきながら、アペデマスはその胸に手を這わせる。

「・・・あ!あぁっ、胸は・・ゥっ、ま、また・・・」

胸を掴んで揉み、乳首を指の間で挟んでキュウと摘まみ上げると、またすぐ身体がしなって腰が過敏に震えた。中が再びアペデマスを締め付ける
立て続けの快楽と、それでも貪欲に感じてしまう自分の身体の反応に、ヴァーユはついていけないようで、いやいやをするように首を打ちふった。

「・・も・・・・お願いします・・・っ少し、休ませて・・・」
「・・・・私はまだ一回しか達してない」
「・・・や、あ・・・あ・・・」

涙声でする哀願は可愛らしく、アペデマスの胸を弄る動きを激しくさせた
保護欲のような、独占欲を煽る嬌声があがり、それが肉棒の抜き差しを再開させるはめになっている事は自覚がないだろうヴァーユに、胸が締め付けられる心持がした。

(やはり私は・・・コイツが好きなのだな)

そんな事を改めて思ったところで、もはやどうにもできないというのに
・・・無性に、口付けがしたかった
しかしそれは出来ない。・・・それすらも出来ないのだ
そんな事を自覚したところで、無意味だ。

(何も、考えるな)

虚しさと焦燥感を抑えるように、ヴァーユの首の後ろを吸い上げる。

「うぁ、あ・・・っ」

ヴァーユの背中がびくびくとしなって僅かに位置が変わるたび首を追いかけ、開放しない。
放さない、放せない。
白くて痕がすぐのこるそこを吸い上げたり舐めたりしながら、手の動きも腰の動きもやめない。より一層激しくする。
ヴァーユの中がとてつもなく気持ちがいい事をいいことに、次第に行為自体に没頭していく。
心も通わせて、真から繋がりたいなど・・・アペデマス自身が、余計な事を考えないように。と。
早く、自分の肉欲が治まり、ヴァーユを開放してやれと。それだけを想って。

腰を打ちつける音と、グチュグチュと鳴るそこと。自分の荒い吐息。そしてヴァーユの声だけが響き渡る洞窟内で、アペデマスは自分が本当に獣のようになっていくことを実感しながら、意識のある限りヴァーユを犯し続けた。




























---------------------------------------------------



あたたかい
とても、気持ちがいい
ずっとこのまどろみの中で眠っていたかった
しかし、そんなことが許されないのは、自分が、よく知っていた

この心地よさが終わってしまう名残惜しさを感じながら、気怠い瞼をなんとか開く
最初に目に映ったのは、薄闇のなかに微かに見える蔦に覆われた岩の壁だった
ぼんやりとした頭で、わずかに身じろぎをする
途端全身に鈍い痛みが走り、小さく息を漏らした。
その痛みで少し意識が戻るが、未だ頭にかかった靄みたいなのはとれなかった
フワフワとした気分の中で、ふと、自分の頭や左肩などが暖かい事に気づいて、無意識に顔をそこに傾ける

「・・・、・・・?!」

目の前にあったのがアペデマスの顔と知って、一瞬、いつもの光景だと安堵して目をとじる
だがすぐにもうあり得ない光景であることに気づいて、ヴァーユは驚きの余り目を見開いた。
反射的に飛び起きてしまい、全身を痛みが襲う

「・・・・・・・っ」

唇を噛みしめて、なんとかその痛みに耐える。そうしてようやく意識が覚醒した。
しかしまだこの状況に至るまでの記憶がでてこなかった。
ヴァーユはふぅと小さく息を吐いて震える身体をなだめ、呼吸を整えながら、すぐそこに横たわるアペデマスを見て、どうしてこんな洞穴でアペデマスと一緒に寝転んでいたのか、自分が腕枕をされていた形跡に顔を赤くさせながらも記憶を探る。

きっかけは、地面や、自分の周りにヒラヒラと舞う羽と、自分の片腕と片足に赤く走る亀裂・・・切断された痕をふと眼に映したから。

(・・あ・・・)

そうだった。
思い出した。抱かれたのだった・・・取引の条件として。
そして思い出した。今の自分は、もう以前の自分ではなくなっていることを。

(・・・そうだ、そうだったな・・・)

ヴァーユは、噛み絞めるようにゆっくりその事実を受け入れると、もう一度、アペデマスの顔を覗き見た。
身動きすら億劫なほど、全身がだるかった。特に下半身の重さがつらい。
アペデマスはまるで死んでいるように眠っていた。
それに少し恐怖を感じて、そっとアペデマスの胸に手を置くと、確かに上下している。耳を澄ませば微かに寝息も聞こえて、ヴァーユは心から安堵のため息を漏らした。
更にもう一度、アペデマスの顔をまた、見る。
ヴァーユが好きなとても美しい顔は、今は疲労が色濃く残っていた。
眼元に隈がくっきりあるのが痛々しかった。

(・・・無理もない・・ずっと、お眠りになっていらっしゃられなかったから・・・・・・)

胸が痛くなるのを感じながら、ヴァーユはそっと、眼の隈を指でなぞる。


あの時、ヴァーユはアペデマスを道連れに、死ぬつもりだった。
抱きしめられていたアペデマスの体温、血のにおい、首に触れる剣の冷たさ。そして自分が起こした雷の熱さ、それが最後に覚えていること。
自分はそれで、消えてなくなったはず、だった・・・

しかし、気がついたら上空で、下で繰り広げられている戦いを見ていた。
空を飛ぶことは自分にはたやすいことだから、すぐにはわからなかった。自分の違和感に。
それは徐々に沸いてきた。まるで水の中に漂っているような、フワフワとした、空を飛んで今まで感じたことのない感覚に。
そして、アペデマスに斬られた筈の腕や足が、存在することに気づいた。
おかしいと思った。なぜなら下を見渡すと地面に、確かにアペデマスが持ってきていた自分の腕があったのだから。腕や足に、斬られた痕の様な生々しい亀裂が残っていることが、そこを斬られた証拠でもあった

だが、ヴァーユは自身の変化にそこまで注意を払ってなどいられなかった。
アペデマスとターちゃんの勝敗が決したからだ。
ターちゃんはアペデマスを殺さなかった。甘い、という感情と、確かに安堵している自分がいて。
メロエが刀をとった事に、姉の手を汚してしまうことに、仕損じてしまったことを後悔する気持ちがあって。

・・・そして、アペデマスの口から語られる真実を、ヴァーユは聴いたのだ。



(私は、一体何を見てきたのだろうな・・・)


力は姉さんたちに及ばなくても、心は誰よりも近いと思っていた。
恋人として扱ってくれていたから・・・自惚れていた
自分はなんにもわかっていなかった。
アペデマスが国王を斬ったのは嵌められたというのも、・・・そして、国家の政策変更にどれだけアペデマスがショックを受けていたのかも・・・

アペデマスが自分の夢を叶えるという言葉の裏で、信頼された王に裏切られた苦しみ、そして未来に向かって足掻いていたのに、気づかなかった。
・・・だから、今の地球の状況だけをみて、アペデマスの表面的な夢という言葉だけ捕らえ、「アペデマスが叶えようとする世界は、間違っている」と裏切ってしまった。
過ちを犯したと後に悟ったとき、アペデマスがどう思うのか。そう頭によぎったときに覚悟が出来ていた。
せめて五戦士最後のメロエを、・・・ターちゃんを殺めてしまう前に。
取り返しのつかなくなることが増えて、アペデマスの傷がこれ以上増える前に
自分が、止めなくてはと。
自分は、アペデマスが優しいことを知っているから

国を裏切ることになり、何をしてもアペデマスの味方をしよう。と覚悟したのは嘘じゃない。
だが間違いがあった
五千年前のあの日、自分はただ従うだけじゃなく、ちゃんとアペデマスの話を聞くべきだったのだ。
そうしてアペデマスの心から支えてあげることができたなら、向き合うことができたなら。
今と違った道もあったかもしれなかったのだ。

(・・・私が、愚かだったのだ。全て私の責任・・・。・・・だが、もう)

何もかも全て、終わってしまった過去の事
愚かな自分も、過去の’モノ’、だ・・・

そう自虐的に思い、自分の背中から生えている白い翼を見る
ふわふわ、とする感覚は消えていなかった。
飛んでいるときだけじゃなく、地面に立っていても、何かに触れていてもだ。ずっと不安定な感覚が消えなかった。そして、生きている者に触れるときの、あの強烈な存在感と重さ。
今の自分は石ころを掴んで投げることすら重労働だった

・・・これが、死んだ。と、言う事なんだな。

ヴァーユはずっとアペデマスの瞼に置いてあった指を動かし、そっと頬をなでる。
人の身で触れればその体温は僅かのはずだが、ヴァーユにはとても暖かく感じられる。
違いを強く感じたのは。これだった。

思い出す。アペデマスの足が、手のひらが、唇が、舌が、触れるたびに身体に焼け跡をつけるのではないかと感じるほど、熱かったことを。

「・・・ッ」

アペデマスの口が、背後から首に吸いついて放さなかった事を彼の吐息の感覚とともに唐突に脳裏にうかびあがって、顔が一気に火照ったことを自覚する。
身体も、心なしか触れられたところが敏感に反応したように、小さく震えた。
ついアペデマスの身体の上に倒れ込んでしまいそうになる自分の身体を、ヴァーユは必死で支える
もはや精神力だけでヴァーユは動いていた

(・・・まどろむなど、今の私には許されないことだ)

静かにふぅと息を整えながら、ヴァーユは半無理やり自分の決意を思い出す。


衝撃的なアペデマスの告白に、身動きも出来ずただ聞き入っていた。
メロエが絶句するのを、見ていた
アペデマスが「殺せ」と言った時、なりふり構わず駆け寄りたかった
殺さないで、と姉に残酷な言葉を言いながら。
しかし、声がでなかった。身動きすら満足にできなかった。
まるで空に浮かぶ雲のように、大気の中をもがいているだけだった
おかしい、と壊れた人形のように滑稽に動くヴァーユの眼に、自分の背中にはえている翼の先が映って。
その時、初めて
「私は、死んだのか」と思った

そうやって、メロエの使命感と復讐心が、仲間殺しの辛さに変化するのを見届けていたのだ。
ただ、見ていたのだ
メロエが剣を下ろした時の顔を眼に焼き付けて、心臓が切り裂かれたような痛みを味わいながら。
死者にはなにも出来ないのか、という事を己に刻み付けた。
それが正しい認識であると。世界に拒絶されたように自由にならない身体を見てそう感じたのだ

しばらくしてメロエ達は立ち去っていった。
周囲に集まっていた動物たちも一匹一匹はなれていく
姉を思うと、後をおいたい気持ちはあった。
しかし、砂漠に一人残ったアペデマスから眼が放せなかった
先の告白がショックで、そしていつも周囲に誰かしらいた彼は、今はたった独り、それがヴァーユには物悲しく思えて
でも、表情は晴々としていたのが対象的で、不安感を煽った

これからどうするんだろう、と。

もはや、アペデマスを独りにしてしまった裏切り者の自分には案じる資格すらないのに、そう思ってしまって。

どのくらいアペデマスがその場にいたのかはよく覚えていない
人も獣もいなくなって、風の音しか聞こえなくなった頃だったと思う。
アペデマスは静かに立ち上がってその場から離れた
深く考えるまもなく、ヴァーユもその後をおった。さっきよりは身体のコントロールがきいた

そうして木々や泉が流れる綺麗な場所に辿り付いたアペデマスはその場で寝転がり、そのままずっと空だけを見ていた。
ろくに身動きもしない。眠りもせず。食事も取らず。幾日も。
ただずっと空だけを。

その様子を背後の木に隠れて見ていたヴァーユは、次第に不安で押しつぶされそうになった

・・・このままでは死んでしまうのではないか

言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、不安は恐怖へと変わる。


(アペデマス様が、死ぬ・・・?)

嫌だ。
そんなのは、嫌だ。

確かに、ヴァーユはアペデマスに逆らい、倒そうとした。
それだけを見れば、この思いは矛盾している
だが、形はどうあれ、それはアペデマスの行為を止めようとした為。
・・・憎しみや怒りなどで、殺したいなどとカケラも思っていない。
アペデマスがもう世界征服を’しない’というなら、もう、ヴァーユにはアペデマスを倒す理由なんてなかった
そして、自分が、アペデマスに殺されたなどと少しも思ってはいない。
これはアペデマスを倒そうとしてしくじった結果。つまり自業自得だ。
今はそれを心底嬉しく思う。
誤解をしたままアペデマスを殺してしまわないで、本当によかった、と。

辛い思いをしたからって、他人を殺す理由にはならない。
彼や自分がしてきたことを思えばとんでもなくエゴな願いだ。
それに、まさにお前がアペデマスを殺そうとしたしたくせになにを言う、と他人から見れば滑稽な光景だろう
アペデマスにとっては蔑みの対象でしかないだろう。
それでも、それでも。

アペデマスには生きてほしい。
信じていた国王や、仲間に裏切られた心痛を、どうか癒して、この世界で生きて、幸せになってほしい。

そう心からそう思ったのだ。

同時に、その痛々しい姿は、自分がアペデマスを手酷く傷つけてしまった事を自覚させる
間違った考えを直す。それがアペデマスのためにもなる。と。
大切だから正面から立ち向かったつもりだったが、見当違いもはなはだしい事をして。

私は馬鹿だ
おそらく、だから。・・・アペデマス様は何も自分に話して下さらなかったのだ。

親兄弟と敵対しても、味方の部下を殺めてでもアペデマスと共にいたかった。
他の誰と戦っても、アペデマスの味方であろうと思っていた

ヴァーユはアペデマスを誰よりも大切に思い、尊敬し、そして愛していたから

(・・でも。アペデマス様にとって私はそうではなかったのだな)

自分は、国王との確執を話してくれるまでの存在になりえなかったのだ。
いいや違う。自分がアペデマスの僅かな動揺を、変化を、感じ取れなかったせいだ。
国と戦う。と宣言したとき、本当はあの時が一番、アペデマスの心情を訊かなければならなかった。正面からぶつからなくてはならない時だったのに。
アペデマスの夢をかなえたい。などという考えに至るだけだった
だから、アペデマスは自分に本音を話してくれなかったのだ。

こんな愚かな私は、’恋人’の資格など当になかったのかもしれない。裏切る以前から。

好いてくれていたとは解っている。が、きっと、自分の感情ほどアペデマスの感情が大きかったとは思えない
わかっていた。
昔からそれは思っていたことだ
アペデマスは昔から誰にでも優しくて、部下や仲間をとても大切にしている人だった。
それが何故か恋愛感情を含んだものを自分に向けてくれたけれど、アペデマスにとって仲間は皆、特別な存在だったように思える。
たんにヴァーユは「好きだ」という言葉と、触れてもらえるオマケが出来ただけで。
そこまで他人以上に。格別な扱いをされていたという自覚はなかった。
ヴァーユもアペデマスを独占するつもりなどなかった。恋人である前に部下であったから。
それに、人に囲まれて笑うアペデマスが、好きだったから
ただヴァーユは好きと言われるだけでよかった。
好きになった人に愛情を向けられている。
それだけで、ヴァーユは満たされていたのだ。
・・・アペデマスにとっては、そこまで大きな存在ではなくても。

そして、アペデマスの中できっと部下以下となってしまった自分が、今更どうしようというのか。
アペデマスを裏切ってしまって、そしてもはやこの世のものですらない

(・・・・・それ、でも)

まだ生きているアペデマスに、そして生きていってほしいアペデマスに、自分がしてあげられることは何かないだろうか・・・と。
これは身勝手な贖罪の気持ちかもしれなかった
それでも、心のそこから思ったのだ
なんでもよかった。なんでも。

そうして。短くはない時間悩み、やっと一つ思いついた。
この姿になってから、出来るようになっていた事だ。

’人の一部の感情を消すことができる。’

なんとも奇妙な能力だった
ヴァーユ自身も、何故自分がこういう力を手に入れているのか説明できなかった。
人が言葉を喋るように、手足を意識せず動かせるように、なぜかそういうことが’できる’と頭の片隅にあった。
そのやり方も。
もしかしたら、なくなってしまった自分の風の力の変わりなのかもしれない。
などと自分を納得させてみたりもするが、今はそんな事を深く考えていられなかった
これでアペデマスになにかしてさしあげれる。と、それしか脳内になかった

生きていればまだ、一生をかけて償うなどの選択肢はあっただろう、だが自分はもう未来はない。
ただ会って、わずかなりと慰めたくても、それはできない。
ヴァーユはアペデマスを倒そうとした。裏切り者なのだ。憎悪の感情を向ける相手が自分に同情をしているなど、アペデマスのプライドではきっと受け入れることはできないだろう
アペデマスは自分を許さないだろうし、またヴァーユもそんなことを望んではいない
勘違いをしていた、だから許してほしい。などとそんな虫のいい事などを。
やってしまったことは変えられないのだから。
ヴァーユの願いは、ただアペデマスがほんの少しでも心安らかになってくれることだけだった
だから、この力だ

この力で、かつての自分との事を忘れさせたなら、その分だけだけれども、癒えるのではないだろうかと

きっと、アペデマスにとってはもとからそんな大きな部分ではない。自惚れるつもりはなかった
ましてや裏切り者との事なのだ、嫌悪したい過去になっているだろう。
そんなことはわかっている。
単にヴァーユは知っているだけだ
アペデマスが、「仲間を殺す」ことに全く抵抗がないような非道な男ではない事を知っていた。
信頼を向けていた者たちを手にかけるたび、その一瞬の表情を、ヴァーユは知っていた。
だから、それはきっと
仮にも、過去に恋愛感情を持った相手を殺した事にも・・・当てはまるだろう
アペデマスは、優しい人だから

(・・・本当は、私の記憶を丸ごと消すことが出来れば、一番良かったんだけど)

ヴァーユがいなかった事になれば、アペデマスの意識可では人一人分殺した事が消える。
ほんの些細だが痛みを軽くすることができただろうに。
そこまではさすがに出来ないらしい。

なら、ヴァーユが’恋人’でなくただの’一部下’になったなら?
好きだと言っていた相手が裏切って、自分の手で殺したというのは、きっと時々にでも意識する事があろう。
ならヴァーユという名前の部下がいたな、という程度の存在になれば、その傷は多少なりと浅くなっている筈。

アペデマスにとってはヴァーユの事は手に刺さった小さな棘くらいのものだと思う、しかしそんな小さなものでも、取り除いてあげれたら。
そのくらいしか、できる事はないのだ。

それが、ヴァーユの決めたことだった。

だがしかし、アペデマスを共に自爆に巻き込もうとした裏切り者の自分が、戦いが終わったからとおめおめ顔を晒すことに、ヴァーユは抵抗を感じていた。
アペデマスから憎悪の眼を向けられることは覚悟しているものの、一歩が踏み出せない。
今のアペデマスは心の中を整理している途中かもしれないのだ
未来へ向かうために
ヴァーユが今姿を見せる事は罪悪感を掻き立ててしまい、アペデマスの邪魔することにならないだろうか。と不安を覚えたのだ
もう一つの理由は、感情を消す方法が、相手に接吻することだったからである。
裏切り者がどの顔をさげて口付けさせてほしいと言えばいいのか
そもそも、アペデマスに触れる権利など、もうどこにもないのに


そんなことがグルグルと回って、決意をしてからもまたしばらく、アペデマスをまた観察するだけであった。
このままだったらずっとそこにいたか、会わずに空へ飛び去っていたかもしれない。
物陰で自分の情けなさを責めながら動けないでいたヴァーユの後押しをしたのは、たった一言
ヴァーユの耳に届いたのだ
ずっと無言だったアペデマスが、小さな声で ヴァーユ と一言漏らしたのを。

気がつけば、声がでていた。

……御身体に…さわりますよ と



アペデマスの小さく呻く声が聞こえて、ハッとヴァーユは意識を洞穴に戻した。
それは直ぐに寝息に変わったので、胸をなでおろす。
せっかく安らかに眠っているのに起こしてしまうのはしのびなかった
それに、肉体的も精神的にも疲労している今・・・再び、アペデマスと向き合う勇気はでない
同意の上で行為をして疲弊したのであるし、全く恨んでもいないが。

(・・・でもまさか、もう一度抱いていただけるとは思っていなかったな)

それが性欲処理でもなんでも、アペデマスの役に立てたなら嬉しい。
たとえ、裏切った事に対する報復でも・・・
私にとっては報復にはならないけれど。と思って、クスと苦笑をする。

二度と触ってもらえることはないだろうと思っていたから、ふってわいた機会は拒めなかった。
これで最後だからと。最後に思い出をいただこうと
ヴァーユだけの、思い出を
顔が見れなかったのは残念だったけれど。

ただ、口調の割に優しく触ってくれるのが、まるで昔の、恋人のままの扱いのように感じて、辛かった
もうそんな関係ではないと付き放してくれたほうが、悲しくても割り切れるのに
そんな生半可に、まだ愛着が残っているようにされては、離れ難くなってしまうではないか
途中耐え切れず、そんなことはしないでほしいと、立場を忘れて言ってしまったが。
報復と言うなら、これが報復
と、胸に突き刺すような痛みを感じるが、見ないふりをする

(いい加減女々しい)

頭を振って、未練を無理やり振り払おうとする
一度ため息をつき、覚悟を決めた。
そっと、両手でアペデマスの頬をつつんだ。その動きはまるで風が優しく舞うようにふわりと。

「・・・アペデマス様、お嫌でしょうが・・・、どうかお許し下さい」

眼をつぶって、自分のそれをアペデマスのに被せる
温かかった。時折寝息がくすぐったくて、ヴァーユは小さく声を漏らす
それに顔を赤くするがそのまま、舌先だけアペデマスの口の中にそっとさしこんだ
歯列が触れて、ますます顔が熱くなるのがわかるが我慢をする
しばらくして、ヴァーユの舌に、丸い石のようなものが触れる。
それをソッと舌先で引き上げた。
アペデマスの口とヴァーユの舌が透明な糸で結ばれたが、急いでその石を取るため手で口を覆ったので、すぐに消えてしまった

温かいその石は、紅玉のような深紅の色をしていた
綺麗だな。と掌に転がして見た後、ぎゅっと握り絞める。

これが死の手土産なんて、なんと贅沢なのだろうか
アペデマスの感情の断片を、手に入れることができるなんて

ヴァーユは手の甲で自分の口と、アペデマスのそれもぬぐう
すみません、と謝罪をしながら

でもこれでアペデマス様は、一つ、解放・・・されているはず
私との事を忘れているはず
そして、今は無理でも、多少の年月を重ねれば、いずれは、ナパのように
ナパが五千年後のこの地で孫まで出来て暮らしていたように、
アペデマスにもそうあってほしい
アペデマスは素晴らしい人だから、きっとそういう相手はすぐ見つかるはずだから

その相手と共にいれば、傷はゆっくりと癒えてくるだろう
微笑んで、抱き絞めて。私にしてくれていたように

    ッ?」

身体が引き裂かれたような痛みがはしり、ヴァーユ思わず身を竦ませた。
ズキズキズキ、と胸から焼け爛れたような痛みが、する。

・・・そう、もうアペデマスに微笑まれることも、好きだと言われて抱きしめられる事もない
アペデマスはそういう事をしていた記憶すらなくて、憎しみや懐かしみで思い出してくれることもなく
それらはすべて、誰ぞとしらぬ見知らぬ他人に注がれるのだ

そう脳裏に過ぎった瞬間、涙が一粒頬をつたった。
その涙に自分自身で驚く。

「女々しいぞ、本当に・・・」

自虐的な笑みがヴァーユの顔をゆがめた。
胸が痛くて痛くて、どうしようもなかった。
本来なら死んだ時点で自分の存在は消え去っているはずだったのだから
こんな時間をとれたことは、奇跡のようなものなのに。
変に辛さ、名残惜しさを感じてしまう自分が情けなかった。

それでも、感情はうまく制御できない
忘れてほしいのに忘れてほしくない
矛盾する感情が苦しくて、自分の胸を、痛みを感じるほどわしづかむ。


立ち去るべきなのに中々動けないでいると、ふと、アペデマスの首元にある血が滲んだ包帯が眼に映った。
アペデマスの黒い肌にはよく目立つそれは、とても痛々しく。気になっていたのだが、自分の力が消えていた為どうすることもできなかったものだ。
間近で見れば、アペデマスの頬には殴られた跡があり、血は止まっているが唇は切れている。

(・・・あの能力もなくなって、私は本当に、用無しになってしまったな)

他の誰にも変われない、唯一の力
これがあればこそ、アペデマスの力になれていただろうに
それがなくなればきっと自分はもういらない。

(ああなんだ。後は本当に、感情の整理だけなのか。)

周りは皆、ヴァーユがいなくてもいいと言っているようだった。
胸にあてた手の力を弱め、ゆっくり自分に言い聞かす

ここまで自分の存在を否定されて、まだ未練があるというのか
アペデマスが好きだから忘れてほしくない、傍にいたい、などという思いなんて。自分勝手もはなはだしいではないか

葛藤するヴァーユの頭はずるずると下り、無意識にアペデマスの頬に顔を寄せていた
目の前にある傷に更に胸を痛くしながら、ふぅっと。息を吹きかける
無駄だろう、と気休め程度の気持ちだった。
しかし、違和感をおぼえる

「・・・まさか・・・?」

滲んだ血が、微かに消えた気がしたのだ
慌てて居住まいをただし、改めてまた息を吹きかけると。赤い色がなくなっていく

「・・・あ」

治せた。
完全になくなったわけではなかったのか。
風はおこせなくなって戦いには役立たないけれど。まだ少しだけ、癒しの力はまだ自分の手に残っていてくれたのだ。

(良かった・・・)

思わず笑みがこぼれる。
そうして、ヴァーユは切れている口元と、首の包帯にも顔を寄せる。
震える指先で、そっと包帯をはずすと、傷跡らしきものはどこにもなかった
綺麗な首筋がそこにあるだけ

それを確認して、また安堵のため息を吐いた。
身体中が満たされた気持ちだった。
アペデマスの傷を治すことが出来たのが、何物にも変えがたいほどに嬉しい

ヴァーユは、初めてアペデマスの傷を治した事を思い出す。
アペデマスは眼を瞬かせた跡、”すごいな”と眼を輝かせてくれた。
すでに歴戦の勇者であった彼が、子供のような眼をして純粋に褒めてくれたのがやけに嬉しくて。
自分にしか向けない表情をみた気分でいたのだった。
自身の怪我は治せないことから、ヴァーユは当時後方支援の担当だった
なにかあってはいけないと。軍人ながら前戦にでることをよく思われなかったりもした。
だがそのアペデマスの顔がまた見たくて、強くあれば近くに入れると思って。鍛錬をがんばったものだ。
最初の思いは、こうだった
そして、アペデマスの役に立ちたいと思いはじめたのだった。

・・・これで、いい

不確定な、感情の消去などという現実味がないものとはちがう
小さな事でも自分の元の能力で、アペデマスの助けになれたのだ。
それがどんなに嬉しいか。きっと人にはわからない。

(もうこれで・・・私のすべき事はなにもない)

胸の痛みは仕方がない。アペデマスが好きだという思いはもうどうしようもない。
これからどうなるかはヴァーユ自身にも分からないが、ヴァーユがヴァーユである限り痛みとはずっと付き合っていくつもりでいた。
思えば、身体も消え力も消え居場所も消え、自分にはもう何もない。と、無自覚だが不安定だったようだ
だが、まだ一つ残っていてくれた。

(いや、二つ。)

ヴァーユは手の中の紅玉を見て、微笑んだ。
贅沢な頂き物がここにある。自分には何もないわけじゃなかった
もうこのまま消えてしまっても構わないし、どこへいったってきっと大丈夫な気がした
そうしていつかの日にまだヴァーユが’いた’なら、アペデマスと、彼の傍にたつ他人を、心のそこから祝福する時が来るかもしれない
今は無理でも、いつか

(だから今だけ、心の弱い私が、忘れてほしくない。と思ってしまうのを許してほしい。)

アペデマスの傍で涙を静かに流しながら佇んでいる様はまるで、聖人が神に祈りをささげているような光景だった。
そうしていたのはものの数分。
目頭をぬぐって、ようやくヴァーユはゆっくりとたちあがる。

「っ!」

途端、ヴァーユの太ももを、アペデマスが中でだしたモノがつっと伝いおりる
嫌に鮮明な感触のそれで先までの行為をまた思いだしてしまい、恥ずかしくて、全身が沸騰したみたいに熱くなった。
そして、身体中を蝕む気だるさがヴァーユを苛んでいるのを更に実感する。
特に腰が鈍くてどうしようもなかった。
思わず崩れ落ちそうになる。しかし、精一杯耐えた。
歯を食いしばり、まるで生まれたての動物みたいに全身を震わせながら、一歩一歩出口に向かって歩き出した。
辛かった。だがそれ以上に、長い葛藤の中やっと動き出せた今、少しでも離れたかった。

一度止まってしまったら、きっとアペデマスの傍を離れられなくなりそうな予感がしたから。

フラフラとしながら、ようやく洞窟の入り口の壁までたどり着く。
身体を凭れさせてふぅと一息つく。
自分の足を見て、どこかで洗わないとな。と頬を熱くする。

この有様では、あの人の前に立つことは出来ないから。

・・・そう、ヴァーユには、地上を去る前にもう一人会いたい人がいたのだ。
孤独になってしまった、大切な肉親が。
姿はあらわせなくても、せめて最後に顔だけでも見たい
探索に時間はかかってしまうだろうが、構わない
自分の時は止まっているから

アペデマスをおってきたときを思い出す。確か近くに川が流れていた筈だった
ここよりもっと下流に。アペデマスに鉢合わせないようできるだけ離れたところで。と決める。

洞窟内まで囁く風が、ヴァーユを外へと誘っていた。
誘われるまま一歩外にでて、翼をぶるっと振るわせる。
太陽がまぶしく周囲を照らして、美しかった
世界はこんなにも美しいものだったのだ

「さようなら、アペデマス様」

軽く振り返って、洞窟内を見る。
暗くて何も見えないそこに向かって、祈った

この美しい世界で、どうか生きて      幸せになってください


ヴァーユの、自分勝手な願いを。心から

「愛しています。ずっと」

その擦れた声は翼の音にかき消され、大気にとけていった











20110720
古都