連日の降雨が嘘のように空には雲ひとつない天気だった。
そろそろ雨季が明けるのだ。そして乾季と共に寒い季節がやってくる。
だが風が運んでくる空気は水の香りが濃厚で、まだ雨は続くのだとヴァーユに告げてくれた。
大地を照らす日差しも優しく、熱の国ルシュ王国の昼下がりには驚くほどに珍しい涼しい日だった。
城内の見張りで立っている兵士たちも、心なしか普段より顔が緩んでいるように見える。
いきすぎてくつろいでいる様な者もチラホラみえるが、小さく苦笑するだけで見逃すことにした。戦明けで皆疲れているのだろう。
そしてなにより、今から向かう所の事を思うと、憂鬱で注意するほどの気力が沸いてこないのだ。
その場所とは、姉に告げた様に上官の部屋、つまりアペデマスの部屋である。

(…どうして、いつまでたってもあの人の前だと緊張するのだろう。)

はぁ、と廊下を歩きながらヴァーユは小さく溜息を付き、自答する。
空の蒼とは対照的な気分だった。
自分の直属の上官であり、軍神と呼ばれこの国の要であるアペデマスは子供の頃からの知り合いである。
姉と好奇心で降りた城下の町で偶然出会い、当時平民だった彼が実力で今の地位に至るまで、稀有なほどに何かと接点を持つことができた。
そんなにも長い付き合いなのに、ヴァーユはいつまでたっても彼の前では僅かに身構えてしまい、落ち着かない気分になるのだった。
ただし、アペデマスの前で固まってしまうのはヴァーユに限った話ではない。なにせ相手は国の英雄である。更にその容姿が相俟って、初対面の人や、憧れているという空気を地で纏ってる人等はしどろもどろになったり、一言も発すことが出来ないというのは見慣れた光景であった。
女性はその点強いなぁ。と怯まずアペデマスを囲んでる女官陣を見る度、ヴァーユは内心感心している。自分には到底真似できない
自らも風神と呼ばれ、五戦士の一人と数えられるほどにその距離は近く、接する機会も多いのに。いつまでも付きまとうこの緊張感は何なんだろうか。
別段アペデマスに威圧的な態度を取られてるわけではない。むしろ旧知の仲として気さくに接してくれている。
彼が嫌いというわけでもない。それは決してありえない。逆に尊敬しすぎてるという自覚があるくらいなのに。
なのに、なぜこんなにも心臓が落ち着かないのか。
自分でも訳がわからなかった。
最近ではこんな理解できない感情を持て余し、次第に接触は極力最低限に留まるようになっていた。

(…情けない)

心の底から思い、落ち込む。人目がなければ頭を抱えただろう
そしてなぜか。普段でさえこんな状態なのだが、今日はいつも以上に気が重かった。
どう説き伏せるかばかりを考えていた姉の時とは違ってただ暇を告げるだけなのに、先に増して浮かない気分だった。足取りは自然と遅くなる。

しかし、歩いている以上前に進んでいるわけで。
気が付けば上官、アペデマスの執務室の扉は目の前にあった。
扉を守備する兵士がヴァーユに敬礼をし、それに会釈を返すと、兵に気付かれない様にまた小さく溜息をつくその数秒のうちに心を決めた。

      ここまできて、ぐだぐだと思いあぐねていても仕方ない

人目が或る、その事が逆に好事た。
速く済まそう。と、躊躇う気持ちが起こって逡巡する前に、ヴァーユは扉をノックする。
心持ちは開き直りに近い。

「入れ」

数拍の間があった後、簡潔な返答が耳に届く。
ヴァーユは速くなる鼓動を宥める様に深呼吸をすると、尻込みする気分を振り払い、意を決して扉を開けた。
そして固まった。

「失礼しま、…す」

執務室は広いが作りは単純である。
基本的に開けた扉の直ぐ目の前に机があって、部屋の主はある程度机の周辺にいるのが定石だ。
意識はしなかったが普通にそう考えていたヴァーユの、直ぐ目の前にアペデマスの整った顔があった。
不意打ちな事に、声が裏返りそうになったのは絶えたものの、語尾が消えそうなくらい小さくなってしまった。
それでも直ぐに我に返ることができたのは、アペデマスが両手に本を大量に抱えていたからである

「ヴァーユか、ちょっと待ってくれ。今ちょうど書庫から帰ったばかりでな」
「…あっ、手伝います。机の上に置いておけば宜しいでしょうか」
「ああ、悪いな」

ヴァーユは急いでアペデマスに駆け寄り、量の半分の本を受け取る。
机の上に運びおくと、広い机が本でほぼ埋まってしまった。

(…この量を書庫から一人で運んできたのだろうか。)

並みの兵士で三人掛かり、それほどの量がある。
こんな小さな事をとっても、やはり常人とは違う。と感じさせられる。
しかしすぐ、ヴァーユの意識は本に向けられた。
大半の本が禁書に近い、古びた本であった。
元々本を読むのが好きなヴァーユは単純にその古書に興味を惹かれ、何の気なしに一冊を手に取ると、パラパラと捲る。
文法が古いが自分でも読めなくはなさそうだ。姉なら息をするように容易いだろう。

「お前はこういうのに興味があるのか?」
「わッ、…あ!」
「おっと」

不意に、目の端に緩やかなウェーブの髪が映り、それと同時に耳元で声がしてヴァーユはハッと今の状況を思い出す。
慌てて本から意識を戻して顔を上げると、ヴァーユの肩越しにアペデマスがその本を覗き込んでいた。
心臓が飛び出しそうになった。
思わず本を取り落とそうになるヴァーユの手元から、アペデマスはひょいと本を摘み上げる。

     何をしているのだ私は!)

ヴァーユは自分がとても無礼なことをしている事に気付き、顔が真っ青になる。
仕舞には本を落とすという不始末まで仕出かしてしまった。
心臓が、動悸が治まらないままひやりと冷たくなる。

「も、申し訳ありません!」
「あぁ構わん、そんな事気にするな」
「は、はい。すみません…」

気にするなというのに。と、少し不貞腐れた様に言うアペデマスの表情は楽しそうだったが、必死で頭を下げるヴァーユには気付く余裕がなかった。
あわせる顔がないヴァーユの頭を上にあげさせたのは、バサッという音だった。
アペデマスが本を放り投げるようにおいたのだ。

「伝統だとか古い形式ぶったのは苦手なんだが、少々調べものがあってな。メロエには言うなよ、こういうことも大事だと、あいつはすぐ色々読ませようとするからな。」
「は、…はい」

アペデマスの弁を聞いて、ヴァーユはふと昔のことを思い出す。
確かアペデマスが将軍の地位に着いた当初、アペデマスとメロエは盛大に喧嘩をしたことがある。
もう随分昔のことで、自分も姉もアペデマスも10代半ばくらいであった。
平民出のアペデマスは、将軍職に就任する為、国王の前で執り行われる儀式の一式を碌に知らなかった。
正確に言うと、儀式で行われる流れは解かっており、式進行自体には支障はなかった。
ただその儀礼の意義等、アペデマスはそういった「理由」などには一切興味がなく、単に外見をなぞるだけだったのだ。
そこでメロエが「儀式の意味がない」と憤慨したのである。
10半ばといえばこの国ではもう大人であるが、あの時はまさに「子供の喧嘩」だった。
いや、どちらかというとおせっかいな母親と子供のような光景か。
メロエは、肩入れする人には親のような気風になる。
その時は、アペデマスに同情したのだろう。ナパが仲介してなんとか場は収まった。

(ナパも名家出のわりに面倒な事が嫌いだからなぁ…)

あれは引き分けのような形で終了した筈だが、どうやら冷戦状態らしい。
傍目には美男美女が、知的で軍議のような会話を繰り広げている様に見えるが、内容はまさに戦をしていたのかもしれない
そう思うと可笑しくて、くすと小さく笑いが漏れてしまった。

「あ、それと本を投げたことも秘密にしておいてくれ」
「はぁ…」

まるで悪戯をする子供のような顔をして、アペデマスはヴァーユに笑いかける。満足そうに、その笑顔は共犯者に向けたそれだった。
その顔を見て、思わず上げた頭をまた下げてしまった。
なぜか、顔が火照って仕方ない。冷えていた心臓に熱が入るのがわかる。気持ちが落ち着かない。
今日は少し、相手の顔を見ることが出来ていると内心嬉しかったのに、結局はいつもと変わらない。
せめて普通に喋ることくらいは、出来ないのか。

「それより、何か用があるんだろうヴァーユ」

          そうだった)

自己嫌悪でもうこのままこの場から退出したかったが、そもそもの目的を、アペデマスのこの問いかけが思い出させてくれた。
色々と予測外な事が起こって伸びてしまったが、用件を伝えてはやく出よう。ヴァーユはそう気を取り直す

「はい、アペデマス様。実は、暫く暇を頂きたいと…」
「理由は?」

間髪入れず問い返され、少々身が萎縮する。
先ほどまでの声色とは間逆の。業務上の声だった。
いっそ不機嫌のようにも感じられるのは、切り替えがあまりにも見事で自分が付いていけないからだろう。
萎える気力を振り絞り、ヴァーユは一通りの説明をする。自分の家のことから国との関係を。
その間、アペデマスは相槌すらも打たず、始終無言だった。

「…こちらの、勝手な都合で誠に恐縮なのですが」
「儀式というのは、具体的に何をするんだ」
「…え?」

開けはなれた窓の枠に凭れ掛かりながらのアペデマスの問いを、ヴァーユは咄嗟に理解できなかった。
アペデマスは古いものや形式ばったものには興味がない。それは先ほどの会話でも裏づけられたであろう。
だから簡単な説明だけで終わるものだとヴァーユは思っていた。
それがまさか興味をもたれるとは。意外で、それ故反応し損ねてしまったのだ。
そんなヴァーユを、アペデマスが単純に好奇心からの目で見つめている。
目が合って、視線を逸らしてしまう。

「何を、といいますと…」
「力を摂取するんだろう。どういう風にやるんだ?力を使う時といえば、戦いか。何かと戦うのか?それとも単に只管放出し続けるのか?」
「それ・・・は」

        それは

説明しようとして、異変に気付いた。
言葉が、でない。
喉に舌がくっついたように、動かせなくなった。
言ってしまえば、一言で済む。その言葉が出ない。
理解できない強いショックが浴びせられた事を、ヴァーユは自覚する。
熱が篭った心臓が、再び冷気に絡みとられる。変な汗が流れて気持ちが悪い。

「…申し訳、ありません。詳しい説明等はまだなもので……」

辛うじて、やっとそれだけを言うことができた。
そして、自分がなぜ今日、こんなにもここに来るのが嫌だった理由がわかった気がした。

「ふうん、そうか。だがお前は私の大事な部下だからな、危険な目に遭わせられるかもしれんとなると直ぐ許可はだせん。上に問い合わせてから…」
「…あ、いえ。恐らくその点は心配ないかと。この時期ですから、多少疲弊しても休息はとれますし」
「ふむ。…お前がそういうなら、わかった。だが無理な事はするなよ」

動揺している自分の様子に気付いているのかわからないが、アペデマスは割と軽く流してくれた。
更には自分の身を案じてくれる。
その事にヴァーユは心底感謝し、自分の心の声を聞く。

     知られたく、ない。

この人には知られたくないのだ、今から自分がすることを。
もし知られたら

(……確実に、軽蔑される。)

そう意識した途端、胸に刺されたような強い痛みを感じた。

「ま、議会命令なら仕方ないな。お偉い家柄ってのも面倒くさいものだなヴァーユ」
「…ふふ、そうですね」

また元の軽い口調でいわれ、つられてつい苦笑と共に本音が漏れた。
地位と義務、そして敬意と畏怖・嫉妬は同時に付きまとうものである。
名家と名乗り、国から特別な扱いを与えられている以上、その分は返さねばならない。
それが周囲の嫉妬等から効果的に身を守る方法なのだ。
秀でたものを妬むような輩は、どんなにいい人材で隙なく固めようとしても必ず出るものだと、本と自らの経験から学んだ。

ふと、ヴァーユは目線だけでアペデマスの様子を伺う。
派手ではないが簡素でもない部屋の中、窓枠にもたれながら緩やかな髪を靡かせ、わずかに微笑を湛えながら腕を組む様子は絵のように美しい。
外見だけではない。平民からの立身出世。国王の後ろ盾があり立つ場が違ったとはいえ、嫉妬深い貴族達の間を抜け、アペデマスは昔と何一つ変わらず今の地位にいる。
風のように自由な人だと、ヴァーユは思う。その強さが何よりも美しいのだ
そして勝手だと自覚しながらも、この人には、そういった汚らわしい争いとは無縁のものであってほしかった。

そう、ヴァーユは彼に憧れ、尊敬しているのだ
隣で力を振るえる事が、部下として大事であるという事実が、何にも変え難い程嬉しいほどに。
その彼に軽蔑されるのは

       それだけは、嫌だ。)

とヴァーユは心の底から思う。

知覚して、急に気恥ずかしくなった。
また顔が熱くなるのがわかり、気取らぬよう頭を下げる。
内面の変化で、急激に気まずさを覚える。
すぐこうなってしまう、こんな自分が嫌いだった。
苦手な人等相手にそれを悟らせず普通に接する事は得意なので、割合顔に出ないタイプだと自分では思っていたが、どうやら逆パターンは無理らしい。

(用件は済んだし、そろそろ退出しよう…)

二人きりの空間に、これ以上は耐えられそうになかった。
顔を見ないようにしながら口を開く

「では、私はこれで…」
「痛ッ」
      えっ?」

ヴァーユの耳に予想外の小さな声が聞こえて、ギョッと思わずアペデマスを見る。
すると、当のアペデマスが少々拗ねた顔で、小首をかしげるように背後を顧みていた。

「髪が枠に挟まった。これは割と痛いな」
「あ!お待ちください、私が…」

アペデマスが気にも留めない様子で、無理やり髪を引き抜こうとしたので、ヴァーユは慌てて駆け寄った。

「失礼します。動かないでくださいね…」

わずかに傾けているアペデマスの頭を挟むように、後頭部にそっと両の手を回して様子をみる。
数本、絡まってしまっているようだ。
ヴァーユはアペデマスに痛みを与えないよう、一本一本鄭重に解いていく。
手や頬に、艶やかな髪の柔らかい感触がした。
太陽の香りがする。

途端。ヴァーユはこの状況を認識、してしまった。
要は今、壁際で密着し、アペデマスの顔を包むように腕を後ろに回しているのである
背丈は相手のほうが高いがさほど差はない。故に顔は直ぐ目前にあった。
ヴァーユが顔を上げたり、背後を覗き込もうと左に振り向けば直ぐ、睫の長さをまじと見つめられるのだ
この光景は、傍からはどう映るのか。

        っ、…、……。」

頭が沸騰しそうだった。
余計なことを考えてしまった、と己の思考を恨んだ。
そのまま硬直しそうになる自分の身体を叱咤し、なんとか手だけは動かす。
だがこの状態で一度意識してしまったことを消すことは至極難しい。
ヴァーユは出来るだけ顔に触れないよう、不自然にならない程度に己の頭を逸らそうとする
しかし体制的に、横というよりは斜め下に伏せるようにしか動かせない。
そして結果を言うと。ヴァーユはアペデマスの肩に己の頭を押し付ける事になった、つまり凭れ掛かる状態になってしまっていた。
何か変だ、と気付きつつあったヴァーユの耳元でアペデマスの笑いを含んだ声音がした。

「大胆だな」
「ち、違!い、いやその…、お、御戯れはやめてください…!」

楽しそうなアペデマスに、からかわれているのだと恥ずかしくて堪らない。できるなら視界を遮断したい
その時丁度よく、挟まれていた髪が全て外れた。
ヴァーユは安堵して、身を放そうとする。このまま全身の力が抜けそうだ。
と、頬を。撫でるように触れられた感触がした。

「取れたか。すまなかったなヴァーユ」

両手で顔を包まれたヴァーユの眼前に、宮廷中の女性を魅了する笑みがあった。
ヴァーユの心臓が、今までにないくらい大きく跳ねた。

      …はっ、…い、いえ!で、では、失礼、しました…!」

ここからはほぼ反射的な行動だった
ほとんど切れ切れながらも叫ぶように言うと、ほぼ突き放すようにアペデマスから身体を離す。
そしてそのまま逃げるように部屋を飛び出したのだ。

廊下を曲がり、部屋の扉が見えなくなるところまで歩いて、ようやくヴァーユは大きく溜息をついた。
煩い鼓動をなんとか落ち着けようとする

(からかい易いんだろうか…私は…)

そうなんだろうなぁ、と。磨かれた城の柱に、耳まで真っ赤に染まった自分の顔が写っているのを見て落ち込む。
肌が白い自分には、赤がとても目立つのだ。
せめてもう少し、平常心で入られるよう努力しなくては。とヴァーユは誰にとなく固く誓う。
そしてもう一度溜息を吐いた後、静かに廊下を歩き出した。
何はともあれ。用件を無事に終えたことにホッとしながら。





























「入れ」

今しがた人出があったドアから、再びノックの音がする。
派手に出て行ったのだからないとは思いつつ、小さな期待があったのは事実だ。
だが入ってきたのは面差しを同じくした、別の人物。

「失礼します」

涼やかな声で、メロエは風のように入ってきた。
そのまま座った席は来客用のそれではなく、仮眠用のソファが置いてある向かいの椅子だった。
戦の話ではないようだ。
アペデマスはメロエの正面に座る。

「ヴァーユ、来ていたの」
「お前に言って来たのか?」
「それはそうだけど。貴方の顔見れば解かるわよ」

どういう意味だ、と聞いたが返事はなかった。
普段は要点を抑えてしか話さないのに、こいつはたまによく解からないことを言う。しかも自己完結をする
だが今回は珍しく返答があった

「子供時代のように。逃げられて寂しいっていう顔してるわ。」
「……」

うまい否定の言葉が見つからない。
ヴァーユは昔人見知りが激しく、自分とも慣れるまで割りと時間が掛かった。
それをゆっくり打ち解けていかせたのに、何故だか解からないが近頃また自分を避けるようになってきているのは薄々感じている
昔からの仲、出来るだけ友人として色々話をしたいのだが。
いや、それ以上に。気が付くと自然と姿を探し、見つけると必要以上に構いたくなる。先ほどのように。
ヴァーユと話している時の、自身がとても満たされている感覚
それが何なのかは解からない

「あの子、何を話した?」

思案するアペデマスにメロエが問いかけてきた。探るような物言いに、関係ないと言い掛けたが、姉弟であるメロエにもないわけではないとアペデマスは思い直す。むしろ、こっちのほうが詳しい事を知っているだろう。
なぜか、ヴァーユとの事はどんな事も、誰にも漏らしたくなかった。
しかしそうも言ってられないのは、気になることがあるからだ

「当に知っているんだろう?お前らのところの、儀式というやつについてだ。説明をして、暇をくれと。」
「説明って、どんな?」
「国と家関係の歴史と儀式の必要性。それだけだ。」
「それだけ?」
「ああ。議会からの使者が伝えてきたような事だ」

アペデマスが肯くと、メロエの険が深くなった。
数秒間をおいて、再び口を開こうとするのを遮る様にアペデマスが喋る

「あいつは儀式の具体的なやり方等は解からないと言っていたぞ。人の身体を使うのに事前説明で承諾も得ないのか?お前の所にしては些か乱雑ではないか。」
「…そう、解からないといったの。」

メロエとの会話は時により喧嘩腰になるのは珍しいことではないが、ヴァーユの前では言えなかった鬱憤を晴らすように、一方的に責めるような口調になってしまった。
だが改める気はない。
メロエも特に気にした様子もなく、何か考え込むように目を伏せていた。それはそれで癪に障る。
と、不意にメロエが顔を上げた

「今日は随分と不機嫌ね。気になる?アペデマス様」
「…様付けはよせ。気持ちが悪い。」
「その態度、あの子に見せてやりたいわ。…聞くなら答えるわよ。
 そんな性に合わない古書なんて書庫から持ち出して調べようとする程には気にしてるのでしょう。」

机の上にある大量の本に視線を辿らせ。にこりと、メロエはまるで挑発するように笑顔を見せた。
バツが悪い。言い返そうとしたが、何かと引き合いに出される人物に、少々気が引いた。
それに、気になるのは事実だった。
そう。儀式について、だ。

今朝方、アペデマスの所に議会から使者が来た。内容は今話題にしてるものだった。
報告を受けた時は正直、愉快な気分ではなかった。
まず、前の戦が終わったばかりで事後処理が済んでない。
ヴァーユは一兵士ではない。今責任ある立場のものを抜かすなどふざけているとしか思えなかったが、当分戦はないからゆっくりすればいいとの返答だった。
確かにその通りでは或る。
そろそろ雨季が明ける。雨によりナイル河が増水し、耕作地の水没の為に滞っていた農業の時期がくるのだ
それは貴重な兵糧を作る期間だった
戦の状態にも寄るが、ナイル河の恩恵を受ける地域では、この時期は内政に非常に重要な時であった。

「前の戦はお互いに兵と兵糧の喰い合いだった。あちらも損害は大きいわ。今期は戦を仕掛けてはこないでしょう」

とのメロエの読みはあたるだろう。

時期はいい。
儀式の必要性がどうのとかは、アペデマスもこの国を支える地位にいる立場であるからまぁ解かるつもりだ。
しかし、心情的には納得いかなかった。自分の中で、得体の知れない不満がぬぐいされない。
それは他人から伝わったものだからだろうと、最初は思った。
そう、只管伝統だの必要性だのと具体性がなく、まるで他人事のように語る使者の説明。
実質他人事なのだから仕方ないが、自分にとって、直属配下の5人の戦士は仲間であり他人ではない。
能力を使うのにも体力という対価がいる。それを使用することをさせようとしているのに、使者の弁はまるで本の中の出来事のようだった
自分の身内の扱い。それが気に食わないのだと。そう思った

なので、渦中の本人から聞きたかった
だが変わらなかった。むしろ、当のヴァーユがあまりにも淡々と話すものだから、逆に益々不愉快さが増しただけだ。

(しかも、どんなことをするのか解からないだと)

内容のことについて聞いたとき、ヴァーユの表情が強張ったのをアペデマスは見逃さなかった。
聞きたかったが、聞かれたくなさそうにしているヴァーユに無理に切り込みたくはなかった。
嘘をついたのか、それとも本当に知らなくて無知さを恥じていたのか
本当に知らないなら…自分の身に掛かることに、そんな無頓着でいいものか

         
いや、むしろ自分の身だからこそか?

あいつは昔からそうだった。そして、その部分がすごく気に食わない。
憤るアペデマスの瞳に、ふふ。と微笑するメロエが映った

「…なんだ」
「いいえ。これが私だったら、そんなに気にはしなかったでしょうね。と思っただけよ」
「ふざけるな」
「…そうね、ごめんなさい。言い方が悪かったわ。」

素直に引いて、少しシュンとなったように見える彼女に、その弟がダブって見えた。すると自身の胸が痛んだ気がして、自分が聞きたい話を振れる程には頭が冷える。
アペデマスはソファに大きく背を凭れかけさせ、腕をくんだ

「で、結局儀式とは何の目的で、何をするんだ?」
「目的は、知っての通りよ。主な使用用途は軍事面ね。アグニの例に、恐らく変な自信がついたでしょう。
 具体的な力の搾取方法は、予測の通り力を放出する行為をするの」
「ふん。要は、人体実験の様なものだろう。」

言って、気分が悪かった。
アグニの手術は、アペデマスとしては気に入らなかった。
だがアグニが重症をおったとき、ヴァーユはバルカンと別働隊で、更にそっちの戦が長引いてしまった為に間に合わず、アグニの命はもはや風前の灯だった。
そこでやむなく手術という運びになったのだ。
これも一種の実験とも言える手術に。

今度はヴァーユまで手を出されるというのか。
そう思うと、腸が煮えくり返る

「怒っているのね?」

知らず、顔が険しくなっていたらしい。
メロエが伺うように顔を見ていたが、別に今更隠す気などない。

「まぁな」
「…もう一度言うわ。恐らく他の誰でもそこまで貴方は気にしない」

確信したように言われ、不愉快さに拍車を掛けられた気分だ。思わずメロエを睨みつける
だがメロエは全く怯んだ様子はない。
数拍無言で睨みあいが続いた後、メロエは静かに言葉を発した。
まるで、何かを決意したかのように見据えてくる。

「どんなことをするのかと聞いたわね。説明するわ。といっても一言で済むけれど」

ふっと呼吸を置いたメロエをアペデマスは真っ直ぐ逸らさず見る。これは気質だった。
だが、次に出た言葉はアペデマスの視線を揺るがすほどに衝撃的過ぎた。

「セックスよ」
「……は…?」

        なにを、言っている

一瞬、理解が遅れた。
理解した後は、驚愕の目をしてメロエを見ていただろう。
メロエは無言で否定も、肯定もしなかった。だが目が雄弁に物を語っていた。
アペデマスは掠れる声で、問う。しかし返答は更なる衝撃を生む

「女を、抱くのか」
「違うわ。男女関係なく、抱かれる方。神官の、…男性にね」

(抱かれる?)

誰が、誰に?
あいつが、誰に?

先の、ふっと微笑んだ穏やかな顔が脳裏に浮かんだ

        ヴァーユが

瞬間、アペデマスの身の内で、炎が踊りくるったような感覚が起こる。
胸と頭が焼けそうなほどに熱い。喉が渇いて、目が翳む
無意識に、爪が皮膚を破くほど拳を握っていた。

「頼みがあるのよ。アペデマス」

目の前にいるのに、淡々と告げるメロエの声はどこか遠かった。

アペデマスは、身体の中の衝動を知覚しようとする。
熱が酷くなる中、何に向けられているのか自分でもわからないが、辛うじて理解できたのものは
憎悪と、怒りだった


















20090618
古都