「おや、これはこれはメロエ殿ではないか」
「あら…どうも」

どすどすと音が聞こえてるような足取りで近づいてくる中年の男を、メロエはげんなりとした気分で見た。
ただしそんな内面はおくびにも出さず、愛想笑いの準備をする。
議会の面子の一人である。家柄は中の上だが代々神官の家系の男だったと瞬時に思い出す。例にも漏れず神官だが、その癖好色家で有名だ。

「相変わらずの白い肌、美しいですなぁ。そちらの兄弟一族は須らく美しくて羨ましい限りですよ。異質だと喚く奴等もいるがお気にめされるな。」
「お気遣いなく、全く気にしておりませんので。」

必要以上に近づく男から、メロエは一定の距離を保つように身を引いた。何時もの事でありもはや手馴れた事柄だった。そんなものに手馴れても全く嬉しくないが。

「この度は弟御の事、大変でございますなぁ。いやはや私出来るだけ反対の意を申したのでありますが、如何せん多数には敵いませなんだ。まことに残念であります。お力になれることがあればなんでも申し出てくだされ。お美しい花の助けになるならなんでもしましょうぞ。ははは」
「…まぁ、ありがとうございます。お心遣いとても嬉しく思いますわ。」

神官の規則の一つである体毛の一切落とした風体で、本人は解かっているのか知らないが下心丸出しのなにものでもない笑みを浮かべている。
普段なら軽く流せるが、今は気力が保つか少し不安だ。気が立っている
声が少し抑え気味になったのが、男には心労で打ちひしがれているように映ったのだろう。メロエを哀れそうな目でみる。じろじろと上から下まで舐めるように動く視線がうっとおしい

「全く宰相殿は技術者どもに甘い!技術局のやつらめが、御国にとって大切な特異能力者を、まるで犬や猫で実験するみたいに申す!私がもう少し位が上だったらば聞き入れていただけたのに!お労しいのうメロエ殿。能力者たちは神に選ばれたものたち。彼らを汚すことは神を汚すのも同じである!神官として奴等の神を冒涜する行為、誠に許しがたい事である。」
「ありがとうございます。しかしここは廊下ゆえ、誰が聞き耳を立てているかわかりません。言葉は分別をもって扱わないと身を滅ぼすかと。…あぁ、出すぎたことを申しまして」
「あ、ああ。そうだの。いやいやそのように畏まらなくて結構、私とお主との仲ではないか。」

           狸が

つい口に出そうになる言葉をすんでで抑える。誰かさんのおかげですっかり言葉遣いが乱暴になった。と、メロエは全く悪びれず思う。
元々議会の連中はごく少数を除いて信用できないが、この男はまさにその筆頭ともいえるべき人物だった。
自分の言葉に酔い痴れ、言外に込めた皮肉にも気付かず、肝も小さい。しかし自分をアピールすることは忘れない。頭が痛くなってくる。
能力者を私物のように語る弁に聞くに堪えずつい口出しをしてしまったが、正直このまま放置して通りすがりの技術局の面々に聞かせた方が良かったと本気で思う。


自家が課せられている儀式というのは、名の意味がどうあれ、その内容はまごうことなき技術者の為の、人為的なものだ。
しかし建前上は、儀式という名目が付いている以上神事扱いとなっている。
そして、儀式等の宗教的なものを司るのは神殿だ。
神殿は全てを神のものとし、人が勝手に万物を構築する行為には反対の立場を立っている。つまり技術者、円頭人等とは対立していた。
当初円頭人が降り立ったとき、神官たちは彼らを神だと見なした。
ところが円頭人はそれを否定した。そして彼らの知りうる世界の仕組み、科学技術を伝えたのだ。
それは、神殿にとって大きな衝撃を与えるものであった。当然であろう。神はいないと、その使者であるという己の存在意義を全否定されたのだ。
彼らの技術が国を大きくした。そのことでも深い痛手を負うことになった。

そんな神官たちが縋りついたのは、常人ではない力を使うものたちだった。
予知ができる。風を操る。獣になれる。そして言葉でなくして意思疎通ができる。
これらは、どんな技術であっても解明することはできず、また説明することもできない。と神官たちは主張した。
外から何かを与えられてではなく、生まれつきのものを持った能力者たち。
彼らの力は、神に与えられたものだと。
彼らの存在こそ、神がいる証拠だと。

元来、ルシュ国は王を神の代理人、もしくは神そのものである。と見なしていた。
この神殿の主張は、王権を維持するため都合のよいものであっただろう。
確かに技術が発達して国は栄えた。技術はただあっても使う人がいなければ意味がない、その為学業が発達し人材育成を行った。伴い国民の知識が増えた。
これは同時に、王に対する畏敬の念も薄れるという危険性も孕んだものであった。
王権の軽視はあってはならないものである。
その為、この神殿の言い分は大きく扱われることとなる。そして今、神殿の持つ権力は強大なもののまま維持され、事或るごと、主に何かを開発することに意義を申し立てている。技術者たちの目の上のたんこぶだろう。

(どちらも、癌ね)

メロエの個人的な了見をいえば、この対立自体はっきりいってどうでもよかった。
対立していると公にしているその顔で、神殿の建築には最新技術が使用されているのだ。
この間は、まだまだ使える旧来式の神殿を立て直せとの要求をしてきた事をメロエは知っている
しかも元より予定していた民間の為の道路工事について、そんな事より神間で或るこちらを優先しろと。
自己の利益になるところは何事もないように。恥かしげもなく都合よく。
どの顔で依頼しているのか、とメロエは侮蔑する。

だが、とりあえず議会では、神官側とその他で派閥ができており名目どおり対立はしている。
集団になると面の皮も厚くなるが、個人に近い対立となると溝は相当に根深いようだ。
しかしそんな中で、目の前にいる男は自分の利益を第一に考えるタイプだった。
どの陣営にも普通に出入りし、その時々に同意をし、都合が悪くなると容易く寝返る蝙蝠のような男。
こういう男が国の中枢に存在できることが、国家の面倒くささを体現しているとメロエは感じる。
顔も見たくない。メロエが立ち去るタイミングを計っていると、ふと思い出したように男が再び口を開いた。

「そうそう。弟御の儀式の、相手役の神官のことなんだが…。」
「ご心配なく。すでに決まっておりますので。」

間髪いれず言を切り裂いたメロエに、男は呆気に取られた顔で固まった。

「…そ、そうなのか。ふむ…。いつ決まったのだ?私に連絡もなしに……いや別にそのようなことを気にはしておらぬが…」

硬直からとけた男は、なにやらよく理解できない言葉をぶつぶつと、言い訳のように言っている。
至極、残念そうに。
どうやら、この男の好色は女性だけに向けられたものではないようだった

               汚らわしい!)

鳥肌がたって、急激に吐き気がした。嫌悪感が心の底から湧き出てくる。
自分だけなら我慢できても、弟をそんな目で見るのは許せない。
しかも、見るだけならギリギリ耐えれても、この男は実際手を出すことを考えていたのだ。…冗談じゃない。

そもそも、反対したがどうの、とかいう弁事態が詭弁だ。
もしもヴァーユが拒否をしたら、自分はなんとしても儀式をさせない気だった。
今は未だ頭首ではないので議会には父が参加している。が、頭領である父は一族を第一に考えねばならない。ヴァーユが嫌といったら当然総出で守るだろうが、意思を確認するまでは軽率に行動がおこせないと様子見をしたのだろう。
むしろ蚊帳の外、逆に言えば今自由な身であるメロエのほうが思い切った行動にでやすい。
親しさに差はあれど、議会の参加者には知人が一定数いる。まずは彼らに働きかけ間接的に議会に参入することからはじめるだろう。
と、議会の外にある自分のような小娘でも、そのような働きかけは可能なのだ

(それが、仮にも正式なる議会参加メンバーで、それなりに顔が広いとされる男に、出来ない?)

鼻で笑ってしまう。
一応国の有力貴族である自分の一族の言と、立場は強い。
そして代々の頭首の人柄から、少なからず慕われ、信頼も多い事は自惚れではない。
もし、誰かが反対を強く主張すれば取りやめになる可能性は高い程に。

ただし、知人達は誰かが動けば積極的には味方にはなってくれるが、自発的な行動を求めるのは困難であった。それぞれの責任と立場があるのだ。もし上に立って行動を起こせば目立つことになり、誰の味方だとか、皆の目の前に手の内を晒されることになる。その後はどうなるか、運が悪ければ終わりだ。
そこまで無理はさせられない。確実に自分の一族の、メロエの味方になってくれる、というだけで御の字なのである。

議会のあったその日に、ヴァーユのところには使者がいったらしい。
ヴァーユが受けると踏んだ上で先に話を通し、そして次に名目時期頭首の自分の所に正式に使者がきた。
本人の意思の確認を尊重、と外聞よく言われたが、つまり、頭首の父より自分のほうが面倒な存在だったということだ。
ヴァーユがもう少し時をおけば…。父も、ヴァーユが返す言葉で承諾をしたのは、予測はしていてもショックだったようだ。身内に一言くらいあってほしかったのだろう。
メロエにはあまりにも当然過ぎて、何の意外性もなかった。そしてしまった、と思った。
技術局からの情報を手に入れるのが、遅かったのだ。
先手が打てなかったことをこれほどまでに悔やんだことはない。

そして、防げる位置にいたこの男。一応立場があると、別段なんとも思わなかったが。心境が変わった。
こうなってくると容赦する気がなくなってくる。
取り繕う笑顔すらなくなったメロエの冷たい視線に、未だぶつぶつ言っている男はようやく気付いたようだ。
ははは、と笑いつつ戸惑いの眼差しを向けてくる。
なまじそれなりに地位が高いと、面と向かって女性に侮蔑の目でみられることはあまりなかっただろう。どうしたらいいのかわからないようだった。と、特に同情心もかけらもなくメロエは思う。
挙動が不振になった男を余所に、冷水を浴びせられたように時間が止まった。そんな男を救ったのは、次の一声だった

「こんな所で立ち話ですか?」
「…バルカン」

横から唐突によく知った、愛しい声が聞こえて。柄にもなくびくと身がはねた。
一呼吸間をおいて、メロエはその人物を直視する。
大きな風体に、鬣のような黒髪。顔まで毛深いのは、彼が獣に変化するという獣人と呼ばれる一族だからだ。
獣人バルカン。メロエの婚約者である。
バルカンはメロエだけに笑顔を向けると、背後に庇う様に男に向き直った。一連の流れはまるで自然だった
彼の登場で止まった時が動いた。というのに、男は助かった、よりはますます居心地が悪い、という面が大きくでた言葉を発する。

「や、やぁこれは、バルカン殿…。」
「オレの婚約者に、なにか用でも?」
「あ、ああいやぁ、少し労いの言葉をかけていただけですぞ。」
「ねぎらい、ですか」
「はは、そうです。まったく、変わった力を持つと面倒が多いですなぁ。常人でよかったと心底思いますよ。ははは、では私はこれで…」

字のごとくそそくさと、男は逃げるように立ち去る。足音の割りにすばやい動きだった。
その様子をバルカンと、メロエは姿が見えなくなるまで無言で見ていた。
完璧に姿が消えると、メロエは大きく溜息をついて脱力し、バルカンに凭れ掛かる。

「平気かメロエ」
「…ええ、ありがとう」

バルカンはメロエの肩をささえ、心配そうに顔を覗き込んでくる。
心の底から安堵できた。この数日間強張っていた頬がやっととけた気がする
だが、そんなメロエとは対照的に、バルカンは顔を険しくした。
自分は何か機嫌を損ねることをしたのかと、不安が起こる

「…なあに?」
「…あんな男がいたんじゃ、迂闊にここを離れらない…。さっき農業の準備を手伝ってくれと言われて承諾してしまった。断らないと。」

ああ、とメロエは合点がいく。
バルカンは五戦士のなかでも随一の力持ちだった。そして気も優しい。
その為、力仕事や農業の手伝いをよく頼まれるのだ。
耕作地はナイル河周辺だった。ここルシュ王国首都アクムスはナイル河からは森を挟み、多少距離がある。

農作を手伝うということは、当分首都を離れるということだった。
今期の雨季によるナイル河増水の水位は上々だった。多量でもなく少量でもなく。
これなら水で腐った地による疫病の心配もなく、水で潤った大地からの恵みは期待できる。
と、瞬時に様々な事柄が頭を巡り、我ながら職業病だと苦笑する。
それに、バルカンが益々不安そうな顔をしたので、慌ててメロエはふふ、と微笑する

「平気よ。気にせずいってらっしゃいな」
「だがメロエ…」
「大丈夫、あーいうのよくあるの。毎回パターン一緒だから交わし方すっかり板についちゃって。」
「オレが気になるんだ。」
「…っ」

バルカンは軽く笑うメロエの両肩を掴み、真剣な目を射るように、正面から真っ直ぐメロエに向けた。
思わず息を呑む。
勝手に、顔が赤くなった。
何かを言おうとして、言えなくて。そのまま、引き寄せられるまま身を任せる。
そして思う。
自分は、とても恵まれていると。

深い罪悪感がメロエの胸によぎった。
誰よりも優しく、誰よりも頑固な弟の顔が脳裏に浮かぶ。
微笑みながら貧乏くじを喜んでひいていくような子だった。誰かに当たるよりは自分でよかったと、本気で思っている。
そんな考え方、本当に馬鹿だと憤る。でも、そんな弟が大好きなのだ。
結果、彼が笑ってくれるなら、ある程度の裏仕事はする気だった。
しかし一方、ヴァーユのやりたいようにやらせてあげた方がいいのだろうか、と常に不安は付きまとう。
いい加減、ヴァーユも大人なのだ。
余計なお世話なのではないのかと。

          今回も、余計なこと…したのかしら

恐らく、ヴァーユが一番知られたくないことを、一番知られたくない人に。言ってしまった。
自分は間違ってしまってはいないかと、強い自己嫌悪に苛まれる。
すると。上のほうから労わるような声が聞こえた

「何か、不安か?メロエ」

なぜ、解かるんだろうか
じんわりと、胸が熱くなる。いや、目元もだ。
ぽんぽんと背中を優しくあやされると、自分にしては素直に弱音が出る

「…一歩違えば、最悪の結果なの。」
「大丈夫だメロエ」

何が、と訝しげに目線を向けた。
下手な慰めは今はほしくはなかった。
だが、バルカンはにこにことメロエの頭をなでた。

「オレはメロエを信じてる。」

自信満々で言い切られて、メロエは呆気にとられる。
根拠がないわ。反論しようとして、バルカンの顔を見て。なんか、思いっきり脱力した。
何を言っても、多分返事は変わらないとわかったから。
その代わり、なんだかくすぐったいようなものが身のうちから湧き上がり、堪えきれずくすくすと笑い出してしまった。

「…そう、じゃあ、答えなくちゃね。バルカンが私を信頼してくれるなら。その信頼してる私の頼み聞いてくれる?」
「おう!なんだ。」
「今後の為に農業はすごく重要なの。お手伝い、いってきてくれない?」
「……ならお前も来ないか」
「ごめんなさい、今はやることがあるの」
「そうか、わかった。」

バルカンはむうとした顔で、しかし素直に承諾する。
その顔に、どうしようもない愛おしさを感じながら、メロエは思う。

(そう、もう今更どうにもならない。)

匙は投げてしまった。
あとは、自分が付いていこうと思った上官を信じるだけである。
と、バルカンの身体から身を放し、頭を振った。ボンヤリしている場合ではない。
責任は全部被る覚悟で話したのだ。
最悪、最愛の弟に嫌われる事になっても
そうなっても、かまわない
結果が出るまで、ここを離れるわけにはならない

弱音などはいている暇などないのだ。干渉してくるであろう余計なものを排除しなければ。
それが自分の役目だ。

「元気になったな」
「うん、ありがとう」

暗いまま、それでも心が決まってスッキリした気分だ。
バルカンに、心からの感謝の言葉を告げる

この人はいつも暖かい笑顔で迎えてくれる。メロエはこの笑顔にどんなに自分が救われているか実感する。
しかし、今日はいつにもなく楽しそうに見える。とふと感じた
多分自分の考えはあたっている、と思う。

        戦じゃ、ないものね

農業や、頼まれて力仕事をしているバルカンはとても活き活きしている。
元々、獣人は動物と生きる一族である。
人との戦など、性に合わないというレベルではない。

最初に会ったとき、戦はしたくないと。彼は言った。
でもその力が必要だった。その為に説き伏せて、今ここにいる。
合意の事とはいえ、嫌いな戦場に立つ彼の心情を考えると、メロエは居た堪れない気持ちになる。


廊下の横の窓から、雨の香りがする風が二人の間を通り過ぎた。追うように視線を周りに向ける。
ここからは、ルシュの首都を一望できた。
自然と、円頭人の技術によって建てられた豪奢な建築物が交じり合って作られた都。装飾は決して野卑たものではない。
日差しに照らされて道を行き交う人の波は活気に溢れている
とても綺麗だ。
行き届いた整備によって生活自体も全く不自由などない。

国の王の気質を表している。とメロエは感じた。
国王は、優しい人だ。傍目からも解かる。
自然と国民を愛していると。
そして、戦が嫌いだと。
そう、自分と同じく。

メロエは戦なんか嫌いだった。
しかし、国を守る為には仕方のない事だってある。自分はそう割り切れた。
国の安寧の為にこの力が役立てるなら、立てたい。そう思った。
バルカンを説得できたのは、自分も戦が嫌いだということ、それでもこの地位にいることに興味を抱かれたのが大きいと思う。
自分もだ。
国王が戦嫌いだということを知り、仕えよう。そう思った。


        でも

空の蒼を見上げながら、誰にとなくメロエはつぶやいた。

神殿の、技術局の、軍隊の。今のこの国の状態を見渡す。
注意深くみなくても。彼らは何をするにも大きく依存している事に気付くだろう。

そう、特異能力者の力に、だ。

軍隊は、自分達がほぼ鍛えたようなものである。
技術局は円頭人に従事しているが。彼らは恐らく星に帰るだろう。技術局が必死で引き止めているが時間の問題だと思う。そうなれば彼らは欲求を満たす為に今よりもこちらに視線を向けてくる。
そして神殿は、能力者達の後ろ盾、保護者のような顔をしている。

しかし結局のところは、神殿も技術者達も、保身や探求心の為に能力者を利用しているに過ぎないのだ。
メロエは、国王を慕い信頼していた。彼が王なら国民は安寧していられるだろう。
しかし王は万能ではなく、臣下が必要だ。
その臣下は、信用できない。
自分の身は自分で守るしかない。
油断すると、喰われる。
…しかし逆に言えば、こちらも喰える。
この状況をメロエは盛大に利用させてもらっていた。

人とは違うものは、えもすれば差別とイコールである。
自分達特異な能力者の位置は、一歩違えば今と正反対だった。
民に受け入れられたのは、神殿の言い分である「神に選ばれた存在」との言葉が、何よりも大きく民に効果を与えたからだった
そしてアペデマス軍の絶大なる信頼感で、自然と能力者である五戦士は国民から強く慕われるようになっていた。
神殿が保身の為に使用した言葉が、自分たち能力者の、足場の強固に大きく役立つ事となったのだ。
その事に皮肉は感じるが、この際使えるものは使わせてもらう。
メロエは、弟が。仕えると決めた上官が。同僚の皆が。そして自分を受け入れてくれた婚約者が。好きなのだ。
誰にも不遇な面は合わせない。阻止する。それが自分の役割だと思っている。
こうして現在、特異能力者はこの国になくてはならない、とまでに存在は大きくなった。

だが、本を読み知識を蓄えれば蓄えるほど、メロエは思ってしまうのだ。
自分たち一族は異質である、と。

普通の人間は、自分達のように風を操ったり予知をしたりなどはできない。できる自分達は普通ではない。
当たり前のことだ。
しかし世界には、普通の人間のほうが圧倒的に多いのだ。

異質な力に頼りすぎているこの現状は。…危うくはないのだろうか。
現状、自分達の関わりが10割とはいえないが、内部では既に弊害が起こっている

大事な部分にこそ、普通の人間が居るべきなのではないだろうか。

          特異な力に依存するこの国の行く末は、果たしてどうなるのだろう。

と、メロエは憂う
歪んでやいないか。空に投げかけたその問いに、返事を出来るものは誰も居なかった






































雨の音が耳に聴こえる
禊が終わるのを待ちかねたかのように、雨は緩やかに振り出した。
ぱらぱらと大地に落ちるリズムが心地いい。
天然の音楽を聴きながら、ヴァーユは身支度を整えていた。
当然ながら空は曇天だ。

(この雲で起こす雷は…気持ちいいだろうなぁ)

鏡台横の窓から空を見上げてヴァーユは思う。
自らで雲を操り集めるのと、自然に集まった雲では、雷の質が全然違うのだ。
ヴァーユが好きなのは後者だった。
後にも先にも一度、姉にどんなに違うか語った事がある。すると引かれてしまったのでそれ以来人に言わないようにしていた。
ヴァーユは喋ることがなければ無理に口を開くことはしない。それにどちらかといえば聞き役だ。
だが好きなことを語りたくなるときも或った。
相手が興味がなければすぐやめるが。

ふっと、アペデマスの顔が脳裏に浮かんだ。
彼なら多少なりと付き合ってくれるだろうか。


             〜っ!」


寄りにもよって、今一番思い浮かべたくない人物が浮かんでしまった。
考えないようにしていたのに。と、必死で打ち消す。そうでないと、胸が痛み出して止まらなくなるのだ。
顔が急激に熱くなった、だが長くは持たず、溜息と一緒に流れ出る。
気分が悪かった。試験の直前の時のようなあの落ち着かない、独特の気持ち悪さ。
いっそ早く始まってしまえばいいのに。

そうすれば、余計なことを考えずにすむ

(…それにしても)

ヴァーユは目の前の鏡に映る自分を見た。
足元まで或る、なにやら文字や絵が刺繍された白い衣服に身を包んだだけの、いつもと変わらない光景だ
どうみても、男にしか見えない。
髪は長く、一族上この国には珍しい白い肌をしているが、それだけだ。
しかも、日ごろから鍛えた筋肉がそれに拍車をかけている。
顔立ちも、日頃姉や上官を見慣れていると、平凡この上ない。

(自分なんかを抱かなければならない神官のほうが気の毒だ…。)

と、未だ見ぬ相手を哀れに思うほどには自分は多少なりと余裕があるかもしれない。
そう思うとヴァーユはほんの少しだけ気が楽になった。
自分がアペデマスのような風貌ならともかくも、罰ゲームだろう、これでは。
そう考えて。

(なんと、いうことを!)

このような事柄に尊敬する上官の容姿を思い浮かべてしまった。自分に対する嫌悪感と、罪悪感が生じる。
胸が痛くて仕方がなかった。少々顔色が悪い。
鏡に胸に手を当て眉をひそめる自分が写っている。
嗚呼。こんな自分が、嫌いだ。



と、視線が鏡台上の細長い布を捉えた。痛みを紛らわすように意識をそれに集中させる
目隠し用の、布だった。
これは儀式の決まりごとの一つだ。

「…相手の顔を見ないようにすること、か」

何代前の事だったか忘れたが。
その代のお役目が女性で、儀式が終了した後に相手役の神官と駆け落ちをした。という騒動が合ったらしい。極度の緊張が擬似恋愛感情になるというアレか、以前から恋仲だったのかは解からないが。
その女性は時期頭首で、尚且つ直系の一人娘だったものだから当時大問題になったそうだ。
女性がその後どうなったのかは知らないが、今ここに自分がいるということは…恐らく連れ戻されたのだろう
件の神官とは、一体どうなったのか。
問題を起こしたくらいなのだ。そこまでならと許されたのか、それとも…。

(お気の毒に)

ヴァーユは顔も知らない先祖に、同情を寄せる。
身分など気にしない、或る程度の自由さが自分達一家にはあるが、それは必ずしも外には通用しないのだ。

お役目の目隠しはこの騒動が発端になった。議会は主に前者の予測が大きいと見なしたのだ。
以後の儀式では相手の顔を見ないようにする事、また神官は絶対にお役目にその素性を知られないようにすること。が大原則となったそうだ。
神官には足首に鈴をつけるので、お役目の者はそれを頼りに相手を探らねばならない。
大変だが仕方あるまい。

それに、する事を思えば…そんなに相手と距離が出来ることは考えにくいので不便はないだろう。
ヴァーユは風が吹くように自然に、今からのことを頭に浮かべ、ゆっくりと静かに溜息をついた。

自分は怯えている。
なぜこんなに怯えているのか。と自答をする
自分が思うに。恐らく、偏に女性との経験がないからだ。
どんなことをするのかとか本で読んだ知識はあるが、元来淡白な方だった。
そもそも女性と付き合ったことがない。
それなりに友人は居るが、昔は割合アペデマスと行動を共にすることが多かった。こうなると女性は皆アペデマスに夢中になる。
普通のことだと速いうちに割り切れる性格だったようだ。
それに正直なところ、アペデマスと話をしたりしている時が楽しかった。
しかも。アペデマスが恋人なりできて行動する機会が少なくなれば変わったであろうが、不思議なことにアペデマスは自分を優先してくれたように思う。
…自惚れだと、笑われそうだが。

そう、ヴァーユには性的な行為について。本程度、しかも男側のほうの僅かな情報しかない
その為未知なるものに怯えているのだろう。

(ああ…うん。大丈夫だ。)

自分のわからない部分が少し解明できて、多少安堵する。
取っ掛かりさえ掴んでしまえば…。残りのよくわからないモヤモヤもいずれ解き明かされるだろう。
ほんの少し気が楽になったヴァーユは鏡に向かって、かみ締めるように思う

自分は、男だ。
女性のように、抱かれてどうという弊害も起こらないのだ。男同士なのだから
おこるとすれば自分の中の小さなプライドを、どう処理するか。それだけだ。

              平気だ

身体に沁み込ませるように。一言一言、噛み締める。
だが、先ほどから気を抜くと。いやずっとだ、敬愛する上官の顔がどうしても消えてくれないのが、とても苦しかった。
鼓動が激しく、額から冷たい汗が流れる。身体は冷え切っていた。落ち着かなくて、軽く手の甲を噛んだ
常に頭痛と眩暈が身を悩ましていた。

なぜこんなに。何が苦しいのだ。
いや、これは苦しいと、いうよりは。

(…怖い…のか、私は)

そう。これは恐怖だった。
話が来たときからずっと、ヴァーユはアペデマスの眼に怯えている。
あの優しい眼が、軽蔑の色に変わるのが恐ろしいのだ。
暇を告げるときはなんとか言わずにすんだが、いつどこで知られるか。
それが、心から怖い。
ぐるぐると。ずっとその事ばかりが頭を回って。

薄らと考え事している頭の中に、段々強くなる雨音が響いてきた。
ヴァーユは気だるい頭を動かして窓を見る。
一粒一粒が地面を弾んでいる。

ふと。ある一言が浮かぶ。

            でも、ばれな、ければ


慎重に、慎重に。アペデマスに気付かれないように。

そうすれば、元のままだ。
コレが終われば。元の、上官と部下の関係の中に、戻ることが出来る。

それはほぼ、祈るような心地だった。
ヴァーユは気付く。

何も変わらないこと。それが自分の何よりの望みだ。という事に。

(…はやく、始まれ)

そしてヴァーユは再度、強く思った。
始まってしまえば、終われば。頭痛も胸の痛みも、すぐやむだろうから。


すると、雨音に混じってノックの音が二回。耳に届いた。
きた。のだ。
安堵と今後の緊張との混じった複雑な気持ちが、ヴァーユにぴくりと身を震わさせる。咄嗟に、目隠しの布を手に取った。
ノックの主は。眼を覆われた自分の手を引く者だろう
そして、そのまま地下へ、連れて行かれるのだ。


ああ、耳鳴りがする。鼓動が耳元で騒いでいる。
だが、これが誰でもない、自分の望みなのだ

つうと、手の中に或る布の感触を確かめる。
そして瞳の奥に虚ろな光を湛えたまま、ヴァーユは自らの視界を、塞いだ。


















20090625
古都